裁くのは俺だ

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あらすじ:私立探偵・マイク・ハマーは、第二次世界大戦の記憶に想いを馳せていた。彼はそこで敵兵から攻撃を受けて死ぬはずだった。その運命を変えたのは、戦友のジャック・ウィリアムズ。彼はマイクをかばって負傷し、そして片腕を失った。勇敢だった彼は今、下腹部に.45口径の穴をぽっかり空けた状態で一室に横たわっている。流れる血はベッドから義手のある机へと続いていたが、彼は義手にたどり着く前に息絶えていた。マイクは慟哭を飲み込みながら誓った。ジャックを亡骸にした野郎に、法廷で裁かれる権利など与えない——犯人は、俺が裁く! ハードボイルド史に燦然と輝くタフ・ガイ、衝撃のデビュー作。

突っ込みどころはあるが名作だ

 アメリカのハードボイルド作家、ミッキー・スピレインのデビュー作。当時(1947年)にしてはかなりあからさまな暴力描写があったことから大きな議論を呼んだと言われている。しかし同時に驚異的なセールスと読者の熱狂を獲得し、主人公のマイク・ハマーは以後何度も新作で登場することになる。

 私が本作を手にしたのは二十歳頃のことで、当時はハードボイルド作家といえば大沢在昌、大藪春彦、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、そしてミッキー・スピレインの5人しか知らなかった。そして“ハードボイルド御三家”をハメット、チャンドラー、スピレインだと思っていた時期だ(※実際にはスピレインではなくロス・マクドナルドが入る)。大沢在昌と大藪春彦でハードボイルドに触れた私はその原点を知りたくなり、前述した“誤認御三家”を手にするに至った。

 そのなかでスピレインはもっとも遅れて手に取った作家だったが、誤認御三家の誰よりも彼の作風がいちばん自分に合っていると感じた。有無をいわさずページをめくらせるスピーディなストーリー運びとピンポイントに盛り上げてくるメリハリの効いたプロットに、読んでいる最中ずっと感動に似たものを覚えていた。これこそまさに私の求めていた本だ! と思ったくらいだったが、最後の最後になって“偶然”と“幸運”のふたつの単語を連呼する謎解きに一気にずっこけてしまった。これはばらばらになっている事実を繋げるためにそれらしい憶測を突っ込んでいるだけで、とても推理とはいえないだろうと感じたのだ。

 しかし数年を経て改めて読み返してみると、本作『裁くのは俺だ』は推理を楽しむものではなく、主人公・マイク・ハマーのハードボイルドな精神を楽しむための小説であるように感じた。というのも、各事件における犯人のおおかたの動向はその場で(または直後に)解明されており、残る疑問といえば“この犯行を行えた人物は誰か”という一点にほぼ絞られてくる。つまり読者側の関心が“ハマーが誰を挙げるか”に集中していく仕組みになっているし、そこで重要になるハマーの心理的な描写も読者を高揚させるに充分なものだからだ。

 そんなわけで最後の謎解きにも問題はないと考えられるようになったが、それに変わって浮上した違和感がハマーのあまりの無敵っぷりだ。大藪春彦の著作を読むといつも「これは主人公が強いというよりは相手がヘボすぎるのでは?」と感じるが、2度目の『裁くのは俺だ』でまったく同じことを感じてしまった。そのへんの一般人であれば殴られたり拳銃で脅されたりしたら脂汗をかいて腰を抜かすのもわかるが、裏社会に出入りしているような人間であればそうもいかず、「たった1・2回脅されただけの一般人相手にびびりすぎだろう」と思ってしまう。初めて読んだときはあまりのスピード感に呑み込まれて気づかなかったが、概要を記憶したうえでふたたび通読するとちょっと失笑するところがあった。

 多少文句をつけたものの『裁くのは俺だ』が傑作であるという評価に異論はないし、本作に魅了されてマイク・ハマー・シリーズを買い集めた事実にも逆らう気もなく、当時この本に興奮したという経験にも恥じる気持ちは起きない。私立探偵・マイク・ハマーに対面させてくれた本作は、今後も私のなかで大きな意味を持ち続けるであろう。作者であるミッキー・スピレインはもちろんのこと、翻訳を担当した中田耕治さんにも感謝を示したい。

刑事コロンボ傑作選 意識の下の映像/第三の終章

「第三の終章」に被害者役でスピレインが出演している

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