栄光なき天才たち 浮谷東次郎

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あらすじ:1957年、夏。国内のほとんどの道が砂利道だった日本で、東京都から大阪府までをオートバイで駆け抜けようとしている少年がいた。彼の名は浮谷東次郎。この旅で東次郎は人生の素晴らしさと自分の恵まれた境遇を身に沁みて感じ、名家である浮谷家からの自立と“誰もが勉強できる自由な大学”を創設するという人生の目標を手に入れる。大きな夢を実現させるために選んだのは、アメリカへの留学と大好きな自動車で稼ぐレーシング・ドライバーへの道だった——。人生に助走期間なんてないよ無謀にすら思える数々の挑戦に全力でアタックし続けた伝説のレーサー・浮谷東次郎の短くも輝かしい生涯を描いた伝記漫画。

人々を愛し愛されたレース界の英雄

 週刊ヤングジャンプ誌上にて1986年から1992年にかけて連載された伝記漫画『栄光なき天才たち』シリーズの1篇。伝記ものと言えば普通、一般的に知名度の高い人物を取り上げるものだが、『栄光なき—』シリーズはその業界で広く知られるほどの才能を持った人物であれば、一般的には無名であっても構わず取り上げていたという。浮谷東次郎はまさに“一般的には無名”な人物であった。なんせ彼には目立った成績がない。大きな活躍を残す前に早々とこの世を去ってしまったからだ。

 私はモータースポーツに関心があり、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でのその歴史をザッと調べたことがあるが、浮谷に関しては事故を起こしたあとコースに 人がいちゃあ 危なくって 走れないよとの言葉を遺して亡くなった人——ぐらいの認識しかなかった。むしろこの漫画で浮谷の好敵手として登場する生沢徹の方が日本レース創成期のレジェンドという印象が強い。生沢は日本人のF1参戦など夢のまた夢だった時代に、ヨーロッパのF3でポール・ポジション——決勝レースのスタート・グリッドの1番手。通常、予選のタイム・アタックで最速タイムを記録した選手に与えられる——を獲得したこともあるレーサーで、のちに1970年代を代表するF1ドライバーとなるロニー・ピーターソンの前を走ったこともあるらしい。

 実績だけで言えば生沢の方が上になるだろうが、レース・ファン以外からの知名度では浮谷の方が上になるのかもしれない。そう感じるのは、浮谷の遺した著書『がむしゃら1500キロ』や『俺様の宝石さ』、そしてこの森田信吾による伝記漫画『栄光なき天才たち』といった関連書籍がレース・ファンではない人たちに評価されているのを見た経験があるからだろう。そうした声は意識的に浮谷について調べている中で知ることができたのだが、1度だけ例外があった。

 それは浮谷のことなどまるで考えず、それどころかモータースポーツや車やバイクのこともまったく考えずにネットをしていた時のことだった。モータースポーツの話など一切されていないブログで突然、“『栄光なき天才たち』の浮谷東次郎にはとても感動した”という趣旨で、浮谷の名に出会ったのだ。思いがけず浮谷の名を目にしたことは私にとってなかなか衝撃的な体験だったらしく、それ以来“浮谷東次郎”と言われるとコースに 人がいちゃあ 危なくって 走れないよの言葉と『栄光なき天才たち』をセットで連想するようになった。いつかは読んでみようかな……と思いつつ何年もの時が過ぎてしまったが、hontoのポイントが貯まっていたことと電子書籍用のクーポンがあったことがきっかけとなり、平成最後の日になってようやく入手した。

 読んでみると、多くの人が浮谷に憧れるのがなんとなくわかった気がした。東京五輪前で舗装されていない道の多かった日本で関東から関西までバイクで一人旅を決行、そして今ほど海外が身近ではなかった時代に単身アメリカ行きを果たし、さらにまだモータースポーツが根付いていなかった日本開催の数少ないレースで優勝——。この3つはどれも相当な行動力と勇気が伴っていないとなし得ないことと言える。もちろんあくまで漫画だから、ある程度のフィクションや誇張も含まれているだろう。しかし、物語の幹となる部分で最も“嘘くさい”といえる戦術した3つの要素に関しては紛れもない事実なのだ。これだけでも憧れるには充分すぎるよね。人間のロマンを凝縮させたような人生だ。

 これらの功績を残せた理由として、名家・浮谷の後継として生を受けたことは間違いなくある。当時の世界的なオートバイ・メーカー・クライドラーで一人旅に出られたのも、今とは比べ物にならないほど壁が厚かったアメリカ留学を目指せたのも、そもそもモータースポーツに興味が持てたのも、すべては浮谷家が裕福であったからだ。そうでなければ彼はこのロマンチックな人生を送ることはほぼ不可能だったに違いない。中の下ほどの家庭に育った人間からすると、妬みにも等しい感情が沸き起こってくるのは否めない。

 それでも彼を嫌いになれないのは、彼が貧しい人たちや恵まれない人たちの存在をしっかり目に焼き付けていたからだ。バイク旅の道中では赤子を抱えながらスイカを売る少女を見て——、渡米先では居候の家が裕福でないことを知って——裕福な自分の環境にいたたまれなくなり、自己嫌悪に陥っている。自分の出生に疑問を持つことなく、広い視野を持ってたくさんの人の生き方に目を向けるのは、なかなかできるものではない。たいていの人は自分の人生を生きるのでいっぱいいっぱいだからね。それこそ裕福な人だって……。だけど、浮谷東次郎は自分の人生だけじゃない、いろんな人の人生を思いやることができた。“誰もが勉強できる自由な大学”を作るという夢も、その延長線上に得たものだ。この純粋な優しさには胸を打たれるものがある。

 しかしモータースポーツが好きな人間としては、レーサーとしての物語がここから始まる! というところで終了しているのが物足りない。もちろんそれは、現実の浮谷がそのタイミングで死んでしまったからなんだけど。でもなんかさ、読んでいるとどうしても、浮谷はモータースポーツなんかなくても人気が出たんじゃないの? みたいな感情が湧いてきませんか。ぶっちゃけ、これに感銘を受けた人ってレースで活躍してからの浮谷にはあんまり興味がないのでは……? とか思っちゃう。10代で一人旅とかスゲー! 単身渡米とかスゲー! レース? ン、ああ、すごいよねー。みたいなオマケ感があるというか。日本はモータースポーツの注目度が低いこともあって、どーしてもこういうことを考えちゃうね。

 それはともかくとして、浮谷の人物像は魅力的に伝えられているので、とてもいい漫画だと思う。ただ、説明的な文章が多いからちょっとだらけるというか、読みづらさを感じるところもあった。この辺は伝記ものの宿命といったところで、漫画が悪いわけではないのだろう。作者さんの他の漫画は読んだことがないけれど、無駄な線のない綺麗な絵を安定して描かれているし、ドラマチックな見せ方や心理描写もかなり巧みなので、本来(?)ならかなり読みやすい漫画を描ける人なのでしょう。もし今後このシリーズが新たに始まることがあれば、またモータースポーツの選手を取り上げて欲しいですね。加藤大治郎や阿部典史なんてどうですか?

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