劇場版 美少女戦士セーラームーンS

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あらすじ:うさぎたちと外出中に体調を崩したルナは、ひとり帰路に着く最中自動車に轢かれかけたところを、宇宙開拓事業団に勤める青年・翔(かける)に助けられる。体調が回復するまで熱心に看病してくれた翔に、ルナは生まれて初めて恋の感情を知る。一方、新しい彗星・プリンセス・スノー・カグヤを発見したことを誰にも信じてもらえず孤立していた翔も、ルナに少なからず癒しを感じていた。実のところ、彼が見たプリンセス・スノー・カグヤは実在した——地球を我がものにしようと企む氷使いの妖魔として! 人気テレビ・アニメ・シリーズ『美少女戦士セーラームーン』の原作者・武内直子が書き下ろした劇場版第二弾。

原作重視でスタッフは苦労したらしいけど

 劇場版『美少女戦士セーラームーンR』に続く劇場版第二弾。前作はアニメ・スタッフに一任する形で作られたが、今作は原作者の武内直子が直々にアイデアを持ち込んで、それに忠実に作る形になったらしい。そうした流れになったのは、武内直子がアニメサイドに不満を持っていたからだという。

『美少女戦士セーラームーン』の原作サイドとアニメサイドに深い溝があるのは、ファンのあいだでは結構有名である。もともと『—セーラームーン』シリーズは武内直子の読み切り作品『コードネームはセーラーV』に東映サイドが目をつけ、その設定を汲み取った上で武内直子と東映側がアイデアを出し合って新たに物語を構築する形でスタートしたものだ。しかしアニメサイドがあまりに自由にアニメを作ったために武内直子のアイデアの多くが蔑ろにされてしまい、原作サイドは苦々しく思っていたらしい。

 のちに公開された劇場版第一弾も同様の理由でやはり納得がいかず、第二弾の今作では思い切って我を通して原作者の意向を強く反映してもらえるよう働きかけたという。が、アニメサイドの方もアニメに干渉したがる原作サイドに少なからず煩わしさを感じていたようで、今作に関しては色指定を担当した辻田邦夫がWEBアニメスタイルのコラムにて当時僕はこのお話がどうにも気に入らなかったんですよね監督も作画監督もいろいろ大変だったようでしたと吐露していたりする。

 実際のところ原作とアニメは設定や内容に結構な乖離があり、結果的に原作派とアニメ派という派閥のようなものができ、原作サイドとアニメサイドと同じように多少なり軋轢があったりする。もちろん両方好きだという人も山ほどいるけどね。私はどちら側かといえば完全にアニメ派で、原作はいまだにほとんど触れていない。子供のころ少しだけ目を通したところ、アニメと比較して線が繊細な漫画の方はなんだかこう、エロく感じてだめだったのだ(笑)。もっとも、数年前に短編集を読んだ時はあんがい楽しめたので、今後もしかしたら集めて読むこともありえるが、少なくとも今のところは“『—セーラームーン』といえばアニメ”の立場である。

 そんなわけだから、原作者の意向が大きく反映され、アニメ・スタッフが一歩下がった今作はアニメ派としては微妙に感じる——かと思いきや、前作よりも全然いいじゃん、これ!

 思い起こせばそもそも私は前作がちっとも好きではなかった。初代テレビ・シリーズの終盤〜続編『—R』の序盤の展開を寄せ集めて少し手を加えて引き伸ばしたような内容に感じたからである。要するに既視感がすごい。そこにテレビ・シリーズおなじみの変身・必殺技カットが流用——といっても、先述した辻田邦夫のコラムによれば劇場用に細かくリテイクする必要があったらしいが——されてくると、もはや劇場版(映画)というよりはただの1時間の特番にしか見えなかった。わざわざ劇場版でやる意味とはなんなのか、と疑問にさえ思った。

 しかし今回の劇場版のテーマはルナ(藩恵子)の恋物語だ。これはアニメ・シリーズの方でも何度かあったかもしれないけれど、ルナの方から好きになってその心情をフューチャーする話はあまりなかったのではなかろうか。例えば無印31話の「恋されて追われて!ルナの最悪の日」なんかはそうだ。これも一応ルナの恋物語だけど、タイトルが示す通りルナは惚れられる側、あくまで受動的な立場であった。

 けれども今回はルナが惚れる側である。初めての恋にウキウキしたりソワソワしたりするのだ。でも恋した相手は人間である。叶わぬ恋とわかっていても恋する気持ちは止められない。一時でもいいから人間になって彼と対等になりたい……その願いは月野うさぎ(三石琴乃)の知るところとなり、最後には彼女の力でルナは人間化するのである。こんなにもルナに焦点を当てた話がかつてあっただろうか。人間化したのも(アニメに限定すれば)この劇場版が初めてだったはず。劇場版というからにはテレビとは違うものを観たいと思う身としては、もうこれだけで前作超えは確定しちゃうね。

 とはいえ、先述した辻田邦夫のコラムにあるように、ツメの甘さを感じるところは正直ある。特にルナが想いを寄せている宇宙翔おおぞらかける(菊池正美)に関する描写はわりとガバガバで、自宅が宇宙開拓事業団の施設と兼用になっていることをはじめ、施設内に翔以外の人間の姿がまったく描かれない点、国際的な機密情報を扱うこともあろう施設なのに猫(ルナ)どころか人間(うさぎ)まで自由に出入りできる防犯意識の低さなど、首をひねりたくなる部分は多い。

 身体が弱いという設定もどこかおかしい。翔が劇中で体調を崩すのはスノー・カグヤが地上に落とした結晶にエナジーを吸い取られたからだが、彼曰くスノー・カグヤの結晶が現れる前からあまり身体が強くなく、そのために宇宙飛行士の夢を諦めたらしい。にもかかわらず、セーラー戦士がスノー・カグヤを倒すと、彼は全回復してめでたしめでたしとなるのだ。スノー・カグヤが現れる前から身体が弱かったのであれば、スノー・カグヤを倒しても身体は弱いままのはずで、そんなにめでたくもないのでは? という疑問が浮かぶ。

 人間化ルナのくちづけによってエナジーが以前よりも増加したとか好意的な解釈はできるけど、根本的な疑問は、わざわざ身体が弱くて……と語らせる必要があったのか、単にスノー・カグヤにエナジーを吸い取られただけでもいいではないか、ということだ。少し考えて、もしかしたらこの弱体設定は“月に強い憧れを抱いている人なのに、なぜ宇宙飛行士ではなく観測所務めなのか?”という疑問をクリアーするためのものなのかな、と思った。しかし宇宙飛行士になるにはそれなりに身体能力が優れている必要があるわけで、身体が弱いなんて極端な設定を出さなくても“身体能力があまり高くなかったから”で充分だと思うんだよね。

 細々とした疑問はあったけれど、本編では基本サポート役のルナを全面的にピックアップした内容はやはり劇場版という特別な場所にふさわしいものだったと思う。前作では微妙だった変身・必殺技のカットの流用も今回はちっとも気にならなかったし。この手の作品に対してよくされる“キメポーズが終わるまで待ってくれる敵、超ウケる”みたいな野暮なツッコミに全力で応えるかのように必殺技のキメポーズ中に襲ってくるスノー・ダンサーも素晴らしい(笑)。

 そんな、まさに手も足も出ない状況で唯一スノー・ダンサーに一発喰らわせることができたのが我が推し戦士・セーラージュピター(篠原恵美)というのも最高である。もっとも、直後にボロクソに攻撃を受けているセーラーマーキュリー(久川綾)に気を取られてやられてしまうが、そこはご愛敬。

スノー・ダンサーに一撃を喰らわせるセーラージュピター

© 東映・講談社・東映動画・1994

 わかりやすいようにスロー再生したけど、実際は倍くらいのスピードで流れるカット。一瞬と言っていいくらいのカットなのに、ちっとも手が抜かれていない作画も最高だよね。ジュピターこと木野まことの出番はだいぶ少なかったが、このカットを観ただけで我幸福なり。東映はこれを描いた人にボーナス500万くらいあげるべき。

 作画はほぼ全編に渡ってこの品質が維持されていて、完成度は非常に高いものだった。スノー・カグヤの透明感も素晴らしい。厳密にいえば透明じゃなくて水色っぽい感じなんだけど、ちゃんと氷のように透明でツヤツヤした感じで見えてスゲーと思った。アニメ版『—セーラームーン』らしく遊び心もちゃんとあったしね。意外だったのはテレビ・シリーズと前作劇場版で監督を務めた幾原邦彦が製作に関与していなさそうなこと。スタッフ・ロールに名前がないんだよね。なんでだろう。テレビ・シリーズで忙しかったんですかね?

 ちなみに今作の監督は芝田浩樹という方で、寡聞にして存じ上げず調べたところ『Dr.スランプ』や『ひみつのアッコちゃん』の劇場版で監督をされた経歴はあるものの、どちらかといえば演出家としての顔が強いみたいで、『—セーラームーン』シリーズにも『—R』以降演出で参加されていたらしい。

 なんにせよ前作をテレビ・シリーズの焼き増しみたいと感じた人間からしたら今作は傑作と言ってもよく、たいへん楽しく観賞できた。でも……無印31話のレッドバトラー(ルナに想いを寄せるブサネコ)だってルナを助けたのに、そっちにはシラーっとして冷たかったルナが同じようにルナを助けた翔には恋愛感情を持ってしまうの、なんかこう、ね? 恋に破れて帰った先のアルテミス(高戸靖広)もイケメンネコだし、ルナもけっこー面喰いなんすね(笑)。

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