日日是好日

公開

あらすじ:将来への期待と不安に揺れるごく普通の女子大生・典子は、親の勧めで同い年の従姉妹・美智子とともに近所に住む“武田のおばさん”が主催する表千家茶道教室に通い始める。当初は茶道独特の作法と雰囲気に面を喰らっていた典子だが、いつしか師範の“武田先生”と過ごすお茶の時間が生活の一部となる。時は流れ、典子と美智子は無事に大学を卒業、フリーライターと貿易商にそれぞれ職を得てからも茶道を続けていたが、その生活は歳を重ねるごとにゆっくりと、しかし確実に変化していく——。2002年に発表され好評を博した森下典子のエッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』の映画化。2018年作。

良い映画だけど茶道じゃなくても良さそう

 黒木華、樹木希林、多部未華子の並びに惹かれて観賞。私は茶道の“さ”の字も知らない人間だけど、イメージ的には“堅苦しくていやに静か”な感じ。この映画もわりとそんな風になっているのかなあと思っていたけれど、観てみると意外と緩い感じでしたね。

 その緩さの原因は樹木希林演じる武田先生だろう。この先生がとにかく緩い。典子(黒木華)と美智子(多部未華子)に茶道の作法を説明している時、なぜ・どうしてこのような動作があるのかと質問されると困りながらなぜって……とにかく、こうするのとかど、どど、どうしてって聞かれても……私も困っちゃうのよねと返したりするのだ。何やら適当な感じがして思わず笑ってしまうが、あとになるとこれがちゃんと武田先生の哲学を反映していたことがわかって、なにやらスッキリする。頭で考えるのではなく、体に染み込ませて無心の状態でも同じ動作ができる。そうした動作を同じように繰り返せる日々があるっていうのは幸せなことだなあ、みたいな。無心になるには、それなりの心の安定が要るからね。武田先生の哲学と武田先生のキャラクターがカチッとキマっていて、とても良いと思う。

 それに反して、主人公の典子はつかみどころがない気がして面白くないというか、なんか、“無”って感じだった。映画が始まってすぐ、典子は一生を懸けたいと思うような仕事をやりたい、そうしたものに出会いたい気持ちを持っている人物だと説明されるのだが、映画が終わった直後、結局それに出会えてなくね? と思った。一応、中盤になるとなぜか出版関係の仕事に的を絞って出版社の面接を受けまくるのだが、見事に全滅してしまい、辛うじて繋がることができたライターのアルバイトで収入を得るようになる。その境遇が物語が進んでいくうちに変わるかっていうと、全然変わらない。最初こそ定職ではないことに焦りを感じているものの、時代が変化してフリーライターもアリな空気になってきたら、まあこれでもいいか、みたいになっちゃう。

 しかもさ、そのライターの仕事の描写ってのが全然ないんだよね。たま〜にキーボードをカタカタやってるとこが映るぐらいじゃなかっただろうか。というか、お茶以外の私生活の描写がだいぶ少ない。告知や宣伝を見ると、茶道を通して成長していくだとか、辛い時にも茶道がそばにいただとか、そういう物語っぽいのかなと感じるのだけど、私生活が描かれないから茶道以外の部分に成長があったのかよくわからないし、茶道に救われた感じも特にないんすよね。中盤になると突然、怒涛の孤独ラッシュが描かれたりもするけれど、急すぎて微妙についていけない。その時は武田先生にもちょっとクサされて茶道に自信をなくしちゃうのだけど、その自信を取り戻す描写はついぞ出ないまま、いつの間にか復活してハッピーな感じで終わる。えっ、なんすかこれ……という戸惑いを隠せない。

 映画では25年の月日が流れて、そのあいだ典子はずっと武田先生の下で茶道を学んでいる。これだけ長くやっているのなら、彼女にとって茶道が大切なものであるのは確かなのだろう。けれど、25年間続けてきた動機っていうのが、いまいち見えないのだ。唯一あるとするならば、それは茶道の魅力に惹かれたからというよりは、武田先生を尊敬しているからではないのか? そう、彼女が武田先生を慕っているのはわかるのだ。25年のあいだに、彼女は父親との別れを経験する。その時、そっと慰めてくれるのが武田先生だ。しかし、その場にお茶にはない。ただ、武田先生が優しくしてくれるだけである。武田先生のしたことは本当に何気ない動作でしかないのだが、それがとても暖かく優しい。とても美しいシーンで、目頭が熱くなったけれど、これは茶道に救われたのではなく、武田先生に救われているのだ。

 つまりだね、典子にとって出会えてよかったのって、茶道じゃなくて武田先生なんじゃないのか、茶道じゃなくても、べつによかったんじゃないのか? みたいなことをすごく感じるのだ。茶道と武田先生に出会えてよかったね、じゃなくて、武田先生に出会えてよかったね、なわけ。合間合間で典子は茶道の部屋にある掛け軸の意味に気づいて、ああ、美しいなあとか、武田先生が励ましてくれてるんだなあとか、そういうことを感じるわけだけど、それ茶道じゃなくてあくまで掛け軸じゃん、というね。この筆の流れは滝と同じものなんだあってね、掛け軸の感想を言われてもね、なんか微妙に困るんです、こっち。

 あと、茶道の描写でなんか足りないなと思ったら、あれ、毎回入れるだけなのね。典子が入れたお茶を誰かに飲んでいただくシーンとか一度もなかったと思う。茶道は入れるまでが本番なのかもしらんけど、どうせならなんかさ、武田先生に飲んでいただくシーンがあってよかったんじゃないか。とにかく、茶道に関する描写がなーんか中途半端というか、長々と写しているわりには、これが主題である必要があるのかとか、そういう風に感じちゃうんだね。

 でもさあ、ここまで文句つけといてなんだけど、面白かったかつまらなかったかっていうと、面白かったんだよね。意味わからん、と思うだろうけど、なんかゆっくりじっくり時間が動く感じが、なんかいいんだ。黒木華も多部未華子も完璧に近い演技だと思う。樹木希林は言わずもがな。で、そのほぼ完璧な演技をしっかり捉えて完成させたスタッフみんながきっとすごい。でも、ぶちぶち文句をつけたのからわかるように、私はこれを微妙に変な映画だと思っているんだね。

 ちょっとその原因を考えてみたんだけど、たぶんこれ、フィクションというよりは日記に近い映画なんだよ。日記なんてものは日々の生活を淡々と書いていることだから、あまりに劇的なこととかヤマありオチありイミありみたいなこともなかなか書かない。現実にはそんなことなかなかないからね。フィクションの世界では伏線を出して回収しなきゃいけないし、劇的なシーンにはそれなりの演出をするから、現実とはテンションが違う。なのに私はなんとなくフィクションとして観始めたものだから、え? なんだこれ? とかモヤモヤした気持ちを抱いてしまったのだと思う。

 映画が終わってから調べたら、原作は小説じゃなくてエッセイ。作者の体験談をまとめたものなのだ。ああ、だからこうなったんだなあ、と。話の流れ方とか、すごい現実っぽいもんな。フィクション的な演出も、どこか野暮ったい。それは現実が野暮ったいからなのだ。そういう感じを出そうとした結果がこれなのかな〜と思ったりした。

 まあでも、ここまで文句を言いつつ、つまらないか面白いかっていうと、普通に面白かったんだけどね。たぶん、最初にも書いたけれど、黒木華、樹木希林、多部未華子の演技に満足したからだと思う。よく演技派だとか言われている3人だけども、実際やっぱそうなんだなって再確認できた。こういう、普通に暮らしている普通の人って、ものすごい特徴があるわけじゃないから、たぶん演じるのは難しいと思うんですよ。でも、すげー普通に暮らしている普通の人でした。初めてお茶の作法に触れて顔を合わせてクスクスしちゃう典子と美智子、父親を亡くした典子の脚を優しくさすってあげる武田先生、この辺がもうすごいイイ。普通だ、ただただ普通なのに、すごくイイと思った。

 強いて言うなら、典子の茶道の作法がよくなるにつれ武田先生の貫禄が薄れちゃったのはマイナスかもしれない(笑)。だんだん、ただの貫禄のあるお婆ちゃんになっていくという。映像が弱いのかなと思ったりもしたけれど、これはたぶん黒木華が樹木希林に負けないオーラを持っているからなんだ。きっとそうに違いない。やっぱすごいんだね、黒木華ってのは。

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