あらすじ:明治3年、庚午事変により明治政府から北海道静内への移住を命じられた稲田家一同。家臣の英明を夫に持つ志乃は、夫と娘・多恵を始めとした仲間たちとともに領地開拓を目指すが、慣れない土地での栽培は上手くいかない。さらに政府からは移住の命を反故にされてしまう。未開の地に取り残された彼らの選択は——。

吉永小百合の夢映画

 2017年の大晦日から2018年の年明けにかけて観賞。吉永小百合・渡辺謙・豊川悦司・柳葉敏郎・香川照之ら業界のビッグネームを配した超大作で、監督は『GO』『世界の中心で愛を叫ぶ』などで注目された行定勲が務めている。ちなみに私は吉永小百合の演技をまともに観るのはこれが初めてだ。

 始まってものの数分で思ったのは、やはり吉永小百合のネームバリューの凄さ。さすが稀代のウルトラ超大美人女優、その名前さえあればスポンサーなんぞポンポン集まるのか、予算を組むのに四苦八苦している映画プロデューサーをあざ笑うかのように映像が豪奢である。映像技術に明るくないので詳細な説明はできかねるが、とにかく画の立体感がすごい。実写なんだから立体的なのは当たり前なのだが、日本の映像作品はなぜか——っていうかたぶん、ほぼ確実に予算のせいだと思うけれど——“吉本新喜劇をちょっと豪華にした”ぐらいのしょっぱさを感じさせる映像がかなり多い。特にテレビドラマ。しかし『北の零年』は圧倒的な小百合パワーで映像的なしょぼさを感じさせない。もはや画面にひらひらと舞うお札が見えるくらい豪勢だ。

 けれど、その美しい映像に思い切り冷水を浴びせるのも、また吉永小百合である。正確に言えば吉永小百合と渡辺謙だ。このふたりは夫婦という役所だが、実年齢では14歳もの差がある。もちろん渡辺謙の方が年下だ。いや、姉さん女房で年の差がある夫婦はダメというわけではない。Sex Pistolsのフロントマンで有名なジョン・ライドンの妻も14歳年上だし、イギリスの俳優・アーロン・テイラー=ジョンソンの妻に至っては23歳も年上だ。しかし『北の零年』は明治時代の話である。そんな時代にここまでの年上女房をあっさり頂けるとは到底思えないのだが、劇中ではその辺への突っ込みはなく、ごく普通の間柄の夫婦のように描かれているため、どうしても違和感が拭えない。

 さらに吉永小百合、異様に顔が白い。たぶん少しでも若く見せるために気合の入ったメイクを施したのだろうが、どうにも無理な若作り感があり、渡辺謙との年の差は埋まるどころかますます開いているようだ。おまけに他の役者は時代や舞台の設定を考慮してか、かなりナチュラルな肌色を晒している。そんな人たちに囲まれた吉永小百合の白い顔はめちゃくちゃ浮いている。この厳しい大自然の中でそんな顔白いわけないやろ! お面つけとんか! って言いたくなる。

 さらに問題なのは相手役の渡辺謙の外見が“理想の日本男児”すぎるところだ。私は渡辺謙の子供の方と同世代だけど、その世代から見ても渡辺謙はめちゃくちゃカッコいい。例え渡辺謙そっくりに整形しても渡辺謙の持つ硬派な雰囲気は出せねえ、と感じるほど芯からくるカッコよさがある。今時のアイドル的な”イケメン”よりも、渡辺謙のような“シブい男前”が好きな女性も多いのではなかろうか。そして、そうした女性はきっと私の世代よりも吉永小百合世代の方がずっと多いはず。

 つまり吉永小百合と渡辺謙が夫婦という設定そのものが、吉永小百合の願望のように感じてしまい、観ていてなんだか恥ずかしいのです。創作なんて多かれ少なかれ書き手の願望が入っているものだろうけど、いかにも奥ゆかしい雰囲気のある吉永小百合の願望となると、妙に照れくさい。あんなに控えめなのに、こんな女学生のような妄想しちゃうんですね、みたいな……。しかも中盤に入る頃には渡辺謙を夫にするだけでは飽き足らず、20歳年下の香川照之に襲われそうになったり、襲われそうになったところを17歳年下の豊川悦司に助けられたりするわけです。アアッ、こんな女学生みたいな妄想を! あの吉永小百合が!!

 オタク界隈では“漫画やアニメのキャラクターと自分が恋愛をするという設定の二次創作小説”が結構な人気で、それを“夢小説”と呼ぶのだけど、そういう意味で『北の零年』は吉永小百合の夢映画にしか見えない! 人知れず育んできた妄想だろうに観ちゃってすみません! って気分になる。全国公開された映画なのに。

 そもそもこの映画は吉永小百合を際立たせるための要素が満載すぎる。吉永小百合が一所懸命作物を根付かせようとしているところに突然大量発生するイナゴ、吉永小百合にホの字の豊川悦司をカッコよく見せたいがために全身火だるまになりながらも豊川悦司に助けられる父ちゃん(全身火だるまのはずが一瞬で鎮火……)、大業なセリフで命がけの戦いに挑もうとしたところを吉永小百合に助けられて見せ場を失う豊川悦司など、これでもか! と言わんばかりに全面吉永小百合である。主役なんだから当たり前と言えば当たり前だけど、こうもエゴが強いとゲップが出そうになる。

 そこまでエゴが強いにも関わらず、肝心の演技がイマイチとくる。話し方から動作から表情から何から何までCMの時と同じ。あまりにもそのまんますぎて志乃という人物が全然見えてこない。ただの吉永小百合じゃんっていうね。作物が根付かずギリギリの生活にあろうと、吹雪に遭おうと、その綺麗なお顔は白いままというのもただの吉永小百合感に拍車をかけている感じ。物語の上での苦労のわりに表情にまったく悲壮感がないぞ。

 いろいろと不満は多いけれど、そもそも評判が芳しくないことを知った上で観たので、まあ良い。私の目当ては吉永小百合の娘役——つまり10代の頃の石原さとみである。この映画の2年ほど前に放送された朝ドラ『てるてる家族』を観て以来ずっと石原さとみを陰ながら応援していた私だが、あまりにも尊敬の念が強すぎて彼女の出演作をまともに観れない時期も長かった。意味がわからないと思うかもしれないけれど、要するに好きすぎて私ごときの目に触れることすら畏れ多い気がしてたんですよね! ってやっぱ意味わかんないか。自分でも何を言ってるのかよくわかんない。

 ともかく、私は石原さとみが好きなのに彼女の出演作をあまり観てこなかったので、これからは時代を遡って観ていこうと思ったのが『北の零年』に手を伸ばした理由なのだ。だから映画の不満はともかく石原さとみのことを書くけれど、この頃はまだ今みたいなキラキラ感はなく、かなり芋っぽさが強い。が、そんな石原さとみもイイよね! 乗馬中の姿はのちの役作りに命をかける石原さとみの原点を垣間見せている気がするし、『故郷の空』を歌いながらカントリー・ダンス(?)を踊る姿は『堂本兄弟』や『赤い疑惑』で露呈させた音痴ぶりをしっかりと漂わせている。当時と比べると今は見た目といい演技といい随分垢抜けたよね。すてきだ。

 さらに石原さとみは、前述した吉永小百合の年齢からくる違和感を払拭させるという大役も果たしている。というのも石原さとみの役は劇中で10歳前後から10代半ばほどに成長する設定なのね。だから物語の前半では石原さとみの役は彼女よりもひと世代下、当時11歳前後の大後寿々花が演じているわけだけど、やはり吉永小百合の娘というには歳が離れすぎているきらいがある。しかし成長して石原さとみになり歳の差が縮まると、その辺の不自然さは消えるわけだ。実年齢からしてもこれくらいの年の差の親子はいくらでもいるだろうしね。

 面白いか? っていうとかなり微妙だけど、映像の美しさと豪華さはとても素晴らしい映画なので、そういうのが観たい人にはいいかもしれない。10代の石原さとみが好きな人や気になっている人にもおすすめできるかな。といっても終盤に入らないと出てこないけど(笑)。ずっと「吉永小百合の夢ばかりで石原さとみが出てこねえ」って思いながら観てた。

last up:2017/02/21