名探偵ピカチュウ

公開

あらすじ:ポケモンと人間が共存する街・シムシティに、死んだばかりの父の遺品を整理するためにやってきた青年・ティム。父の部屋をみて、探偵業に熱中するあまり家庭を顧みなかった父と、それに反抗心を抱いた幼い頃の自分に想いを馳せていると、どこからか誰かが進入してくる音が聞こえた。恐る恐る視線を向けると、そこには父とともに事故で死んだと知らされていたパートナー・ピカチュウの姿があった。しかもこのピカチュウ——人間の言葉を話している!? 1996年に発売されて以来、世界的な大ヒットを記録しているゲーム『ポケットモンスター』シリーズのひとつ『名探偵ピカチュウ』のハリウッド実写映画化作品。

日本原作でも日系は主役になれないってさ

 2019年に公開された劇場映画。アメリカ映画だけど、多少なり日本人スタッフも参加しているようだ。検索してもよくわからないけど、まあだいたいは株式会社ゲームフリークや株式会社ポケモンとかの関係者だろう。原作は『ポケットモンスター』シリーズじゃなくて、あくまでシリーズの一作である『名探偵ピカチュウ』になるらしい。

 私は『ポケットモンスター』シリーズは初代の『—赤』、二代目の『—銀』、三代目の『—サファイア』、『ポケモンスタジアム』、『ポケモンスナップ』、『ポケモン不思議のダンジョン 赤の救助隊』、あと初代と二代目のあいだに出た『—ピカチュウ』しか遊んだことがなくて——って、書いてたら思ったけど、けっこー遊んでるね、自分(笑)。まあとにかく『名探偵ピカチュウ』はやったことがなくて、発売当時に流れていた沢口靖子のCMのイメージしかない。

 そんなわけで、『ポケットモンスター』シリーズにはそれなりに愛着があるけれど、直接的な原作は知らないという立場で観ることになった。劇場公開後、私の見た範囲ではそこそこ評判っぽいかな? という印象だったが、個人的にはちょっと——いや、だいぶ微妙であった。

 主人公のティム(ジャスティス・スミス)は、かつて「将来の夢はポケモンマスター」と話すほどにポケモンが好きな子供だったが、家庭を顧みず探偵業に打ち込む父・ハリーに反抗心を募らせるうちに父ともポケモンとも疎遠になり、大人になった今でもパートナーのポケモンを持たないままでいた。そんな折、ハリーの事故死の一報を受けてライムシティに向かったところ、ハリーとともに事故で死んだとされていたパートナー・ピカチュウ(ライアン・レイノルズ)と出会う。

 ピカチュウはなぜかティムとだけ会話を交わせる不思議な能力があった。ピカチュウは記憶の一切を失っており、自分が何者なのかを知るため、自分が被っていたシャーロックハットに書かれていた“ハリー・グッドマン”の名前を頼りにライムシティにやってきたのだという。ピカチュウは死んだとされた自分が生きていることから、ハリーの死は偽装されたものであると主張。その後、ハリーにポケモン専用の覚醒剤・Rについて調査を依頼していたライムシティのリーダー・ハワード・クリフォード(ビル・ナイ)からも同様の主張を受け、ティムとピカチュウはハリーを求めて調査に乗り出す——といったストーリーである。

 まず最初の引っかかりは、この“子供の頃はポケモンマスターを夢見るほどポケモンが大好きだったのに、大人になった今ではポケモンと距離を取るようになってしまった”理由がイマイチ説明できていないところなんだよね。公式のあらすじではかつてポケモンのことが大好きな少年だったティム(ジャスティス・スミス)は、ポケモンに関わる事件の捜査へ向かったきり、家に戻らなかった父親・ハリーとポケモンを、遠ざけるようになってしまったとあるが、それ作中でわかる? 遺品整理のために訪れた親父の部屋にポケモンの資料がたくさんあるからポケモン関係の調査をしていたことはわかるのだが、問題はそれを子供の頃のティムが知っていたのかがわかりづらいところよ。

 親父がいつもパートナーのポケモンと一緒に仕事に行っていて——とかそういう話かと思ったら、ティムはしょっぱなから親父にパートナーのポケモンがいたなんて初耳ですとか言うんだよね。いや、親父とポケモンの繋がりが薄すぎるぅ〜。これが例えばさ、幼い頃は親父と一緒に野生のポケモンを観察したりポケモンバトルを観たりしてましたってなら、親父=ポケモンって結びつきができちゃって、親父に反抗心を覚えてからはポケモンもちょっと……となるのはわかるのよ。でもさあ、そういうエピソードがないんだよ。なんで親父=ポケモンになってんの? なんでポケモンマスターを夢見るくらいポケモン大好きだったのにパートナーのポケモンいらねってなってるの? その辺がいまいち説明されきっていない気がして、どうも入り込めなかったんだよね。

 ともかく、ポケモンと距離を置いてたティムだが、親父の事故死の一報をきっかけに親父のピカチュウとともに親父の行方を探し始める。ピカチュウは記憶喪失になった影響からうまくわざを出すことができないけれど、ティムが幼い頃に培ってきたポケモンの知識と愛情から、徐々にではあるが親父のピカチュウとの間に大切なパートナーとしての関係が芽生えていく。この展開はなかなかいいよ。ゲームの『ポケットモンスター』には強いポケモンを手に入れてもトレーナーが未熟だと従ってくれないって設定があるからね。ポケモンの方も強くなるにはトレーナーの協力が必要だし。そのあたりの設定を反映してるっぽくて好感が持てる。

 でもさあ、そうやって時間をかけて信頼関係を築いたピカチュウの正体が、最後の最後で親父の精神が移り込んだものだったと明かされるんだよ。率直に、はあ???? と思った。つまりそれってさ、ピカチュウはティムとその親父・ハリーとの親子の絆を取り戻すための道具にすぎなかったってことにならない? 私はなった。だってさあ、親父が元に戻ったらピカチュウは親父のパートナーに戻っちゃうんだよ。ティムのパートナーじゃなくなるんだよ。しかもピカチュウ、最後は人間の言葉を喋れなくなるんだよ。言葉だけでなく雰囲気もどことなく変わっているんだよ。おそらくティムとの冒険の記憶も残っていないのだろう。これまで育んできた絆はいったいなんだったのか?

 ストーリーも大雑把に見ればシリーズ初の劇場版『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』っぽくて、既視感がすごい。要するに、ライムシティのリーダー・ハワードは病に蝕まれた自分の体を捨てて、精神をポケモンに移植することで生きながらえようとしたわけだよね。そのために目をつけたのが伝説のポケモン・ミュウのDNAで、それを基にミュウツーを造——って、これ『—ミュウツーの逆襲』のまんまじゃん? いや、あの映画の内容はもうほぼ覚えてないし、そもそもミュウツーは原作からしてそういう感じの設定なんだけどさ(だから名前もミュウ“2”)。でも、それなら無理してミュウツー使わなくてよくないか。それもう観たやん……リメイクでもないのに同じことやってる……と冷めてくる感情は抑えられなかったよ。

 実写用にリデザインされたポケモンもちょっとねえ。アメリカって漫画もアニメも実写化したらとりあえずリアルっぽくして元にあった愛嬌を失くしちゃう傾向があると思ってるけど、今回もそれだった。初めて体毛モッサモサのピカチュウを見た時にまたこれか〜……って。冒頭で一瞬だけ出てきたカビゴンもピカチュウ同様にモッサモサでさ。いや、私の中のカビゴンはあんまり体毛ないんで……。座って居眠りしてるのもなんかチガウ。地面にどーんと寝そべって通路を塞いでるんだよカビゴンは!(初代脳)あとルンパッパ! 子供が泣く!

実写版ルンパッパ

© 2019 Legendary and Warner Bros. Entertainment, Inc. All Rights Reserved. © 2019 Pokémon

 この表情で全身を震わせながら「ぶるわぁぁぁ!」と、わけのわからん叫び声をあげるのだ。怖すぎる。原作ゲーム(『—ルビー』『—サファイア』『—エメラルド』世代)でのルンパッパはゲームの初期から登場するハスボーの進化系で、かつかなり有能なポケモンだったので、最初から最後までパーティの1匹として連れ歩き愛着を持った人も多いだろうに、なぜこんなホラーなキャラクターに……?

 一応、『ポケットモンスター』シリーズへの敬意を感じるところもぽつぽつとはあった。例えばティムとちょっといい感じになる女性・ルーシー(キャスリン・ニュートン)のパートナーがコダックなのは、『アニポケ』の初代ヒロイン(?)のカスミを連想してのことだろうし、親父の精神が移っていない素のピカチュウの声が『アニポケ』と同じ大谷育江なのもやるじゃんって思ったし、エンディングで杉森健(『ポケットモンスター』シリーズのイラストレーター)の絵が出てきた時は結構感動した。でも、それくらいかなあ。バトルシーンもそんなに迫力なかったし、クライマックスもいまいち盛り上がらねえな〜ってのが正直なところ。

 あと、ポリティカル・コレクトネス(以下・ポリコレ)的に、主人公が黒人俳優なのってどうなん? ここでいうポリコレは“演劇の世界では役柄と同じ人種の俳優を起用しましょう”という概念のことね。かつてのアメリカでは黒人を始めとした有色人種に仕事を回さないために有色人種の役があっても白人俳優が演じることがほとんどで、当然そういう時代は白人役も白人が演じるから、有色人種の俳優の仕事が極端に少なく、俳優になりたくてもなれない状況に置かれていた。それを是正する手段のひとつとしてポリコレが登場したわけだ。ポリコレの他にも“有色人種のチャンスを増やすために白人役を有色人種に回す”というアファーマティヴ・アクションの概念もあり、今作の主人公を黒人俳優が演じているのも、おそらくその概念が適用されたからだろう。

 しかしだね、チャンスが少ない有色人種に仕事を与えるべきというのであれば、日本発のゲームである『ポケットモンスター』シリーズの映画化には日系俳優を使う方が正しいんじゃないの? アジア系は黒人よりチャンスが少ないぞ? こういうことを書くと、どうでもよくない? 外国のことだし、その国ごとにやり方があるでしょ……と思うじゃん? 私も数年前まではそう考えていたのだが、どうもアメリカの左派やリベラルはその概念を世界中に適用させたがっているようなんだよね。近年では『ガキの使いやあらへんで!』(以下・ガキ使)で浜田雅功がエディ・マーフィーのコスプレとして顔を黒塗りにした件や、日清が『テニスの王子様』のコラボCMで大坂なおみモデルのアニメキャラクターを色白にした件が海外メディアからボロクソに貶されたり、『ポケットモンスター』のルリナのファンアートの肌が明るすぎるとして日本人の絵描きが炎上した件などがいい例である。彼らは各国ごとの文化ややり方など、考慮する気はさらさらないのだ。

 であるからして、彼らの主張はすなわち日本にも即座に適用されることになる。2020年にアメリカでBLM運動が活発化した流れによってポリコレの概念はより威力を持つようになり、ついにはアニメの声優もキャラクターと同じ人種を起用すべきなどと言い出した。アホか! そんなことをしたら東洋人以外の人種が極端に少ないこの国では世界名作劇場的なアニメを作れなくなるだろ! しかし、そんな他国の事情など、彼らは知ったこっちゃないのだ。しかし、彼らが知ったこっちゃないのは他国の事情だけではない。自国のアジア系のことだって、どうだっていいのだ。

 どういうことかというと、彼らは人種の概念に囚われているわりに白人と黒人のことしか頭にないため、アジア系、ヒスパニック系、中東系などは自然と蔑ろにする傾向にあるのだ。『名探偵ピカチュウ』のような日系にふさわしい作品に平気で黒人俳優を当ててしまうのも、その証左といえる。日本では全然知られていないが、アメリカでは2000年代を代表するアニメに日本を舞台にした『サムライジャック』という作品がある。このアニメの主人公・ジャック(日本人設定)の声を当てたのはフィル・ラマールという人なのだが、彼は黒人俳優だ。先述した“アニメのキャラクターであっても同じ人種の声優を起用すべき”理論に従えば、この例もアウトになるはず……なのだが、私が見聞きした範囲では、そのような言説を支持する左派やリベラルはいなかった。

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 一方で、日本人は先述のように国内限定の番組やCMやファンアートに至るまでアメリカにいる黒人の気持ちを考慮しなさい、と強要されている。つまり、日本人(アジア系)はアメリカの黒人に配慮しなければいけないが、アメリカの黒人は日本人(アジア系)に配慮する必要などないってことに現状なっているわけだ。おかしいだろ!

 実は、こうした差別是正のためのアジア系へのしわ寄せはアメリカでもずいぶん前から指摘されている。例えばアファーマティヴ・アクションの一環として大学入試の際に有色人種が受かりやすいように有色人種にのみ試験結果に+数点加点するというものがあるんだけど、この際にアジア系は有色人種にもかかわらず白人と同じく加点対象にならない、最悪減点対象にすらなることがあり、最近もエール大学が白人と一緒にアジア系も入学しづらいよう採点を調整していたと報じられている。なんでもアメリカの大学に志願するアジア系は成績優秀な人が多くて、成績のみで入学者を決めたら学生の半数近くがアジア系になるんだそうだ。そうなるとやっぱり黒人が入りづらくなるので、アジア系は白人と同じ枠に入れて弾くという流れができたらしい。

 それではアジア系は白人同等の権利を得られているのかというと、そんなことはまったくない。この映画を観てもわかるが、アジア系俳優は白人どころか黒人よりも得られるチャンスは少ない。2020年にCOVID-19がパンデミック化した時は発生源が中国だと報じられ、アジア系への差別行為が増加したと言われたが、BLMのような大きな反差別運動はまるで起きなかった。ドナルド・トランプのChina Virus発言を公に批判したのは長洲未来ミシェル・クワンぐらいなもの。にもかかわらず、BLMが始まった途端、アメリカを中心とした西洋の連中は日本人にBLMをやれ、やらないのならレイシストだと押し付けてくる。つまり、我々アジア系は少数派として差別の辛酸を嘗めながら少数派が得られるはずのポリコレやアファーマティヴ・アクションの恩恵にあずかることはできず、多数派としての恩恵にもあずかることはできないのに多数派と同じ不条理や責務は請け負わなければいけないということだ。

 アメリカの左派やリベラルが俺たちの国の差別の歴史を知れ、世界の義務だと言わんばかりに責め立ててくるからできる範囲で知ろうとしたけれど、知れば知るほどアメリカや左派やリベラルへの反抗心が増すばかりだった。この反抗心が憎悪に変わる決定打になったのは、BLM運動における略奪や暴力行為を全面的に肯定する彼らの態度である。デモに乗じた略奪行為を批判しただけの人を反BLM派と罵ったり、店には保険がかけられているので過去の差別の賠償として気にせず略奪しろと言ったり、火炎瓶を投げる暴徒たちに共感できないのならパンツの中を見て去勢されていないか確認しろなどと言う、その態度。それならな、第二次世界大戦後に散々 日本で 蛮行を 繰り返 して きた 在日米兵 による差別の賠償はいつしてくれるんだ?

 日本ではとっくの昔からこの種の悲劇が何度もくり返され(〜)「恐ろしいけど、よくあること」になっていたが、それでもむやみに火炎瓶を投げたりはせず、アメリカ人にも米兵にも暴力はふるうな、それは差別であるという方向でやってきた。それを去勢されているだと? 同じ記事では、原爆投下を白人至上主義のものと勝手に定義し、まるで黒人は無罪かのように主張している。散々アメリカ人という立場で日本人を見下し、自らのルーツでもないこの島国ででかいツラをして歩いてきたアメリカの黒人が、原爆投下を国民の大多数が支持してきた国の黒人が無罪? 一体何様なんだ? この一連のBLM騒動によって、アメリカの左派やリベラルのことが完全に理解できた。こいつら、在日米兵の歴史をまっっったく知らないんだ。自分たちの歴史を知れと押し付けながら、相手の国の歴史——それも自分たちが行なってきたことは知る気もなく、当たり前のように被害者ヅラをするような連中なのだ!

 今回『名探偵ピカチュウ』を観賞したのも、アメリカのポリコレやアファーマティヴ・アクションの動向を確認しておきたかったからだ。本当に人種差別を終わらせたいと思っているのであれば、日本発のゲームの実写映画にはそれなりに日系俳優を起用しているはずだと。そしていざ観賞してみると、渡辺謙と竹内涼真が申し訳程度に出ているだけだった。日系というか、ただの日本人だこれ。竹内涼真は完全にチョイ役だったし。でも、アメリカのリベラルや左派はこれを許容しちゃうわけだよね? あれだけ日本人に俺たちに配慮しろと口うるさく言ってきたのに? 日系が活躍できる場は用意しない、当然のように奪っちゃうわけだ?

 ほんの数年前まではポリコレに賛同し、リベラルや左派寄りの思想を自負していた私だが、この1年でアメリカ人はリベラルや左派もレイシストと同じく日本を見下しているのだということがひしひしと伝わり、完全に失望してしまった。日本のそれもアメリカを盲目的に追いかけているだけだから、まるで期待できない。アメリカでもそういう疑念を持つ人は増えていてWalkAway運動とか起きたりしているけども。ともかく私は金輪際ポリコレだリベラルだというものは信用しないという気持ちを強くしたし、この映画のルンパッパは気持ち悪い。そういう感じ。まあ、ポリコレだとかを脇に置いて観ればジャスティス・スミスの演技はよかったけどな。

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