あらすじ:時は東西冷戦時代。米国の物理学者・マイケル・アームストロングとその秘書で婚約者のセーラは、国際会議に出席すべくコペンハーゲンを訪れる。しかしマイケルは会議には出席せず東ベルリンへ飛び、そこで自らの思想と相違する米国を捨て、東ベルリンのために尽力すると表明。狼狽するばかりのセーラを横目に、マイケルは行動を開始する。

メイキング

 前作『マーニー』の仕事が終わりに近づいた頃、ヒッチコックは早くも次回作の構想を練り始めていた。第一候補はジェイムズ・バリの恋愛物語を基にした『メアリー・ローズ』、第二候補はジョン・バカンの小説を基にした『三人の人質』、第三候補はオリジナル映画『R・R・R・R』だったが、いずれも頓挫していた。実現したのは第四候補、実在のスパイ・ドナルド・マクリーンとガイ・バージェスをモデルにしたオリジナル作品である。マクリーンとバージェスは表向きはごく平凡な英国人男性で、マクリーンに至っては妻帯者だったが、英国の機密情報をソ連に流していることが露呈すると、ふたりでソ連に亡命した。この話でヒッチコックが最も関心を寄せたのはマクリーンの妻だった。彼女は、最愛の夫が祖国の裏切り者だと知った時、そして自分を捨て仲間の男と亡命した時、何を思ったのか? ヒッチコックは、ここからスパイ・サスペンスを描けると考えた。

 1965年の5月、ヒッチコックはアイルランド人作家のブライアン・ムーアに脚本を依頼した。ムーアは1950年代にデビューした小説家で、『The Lonely Passion of Judith Hearne』などの作品によって優れた作家と認識されつつあった。ムーアとヒッチコックは親子ほどの年の差があったが、ムーアは博識だったし、ヒッチコックを理解するための努力も惜しまなかったから、ふたりは良好な関係を築いていった。一方、脚本作りにおいては相容れないことも多く、ストーリーが定まらずにいた。撮影所のユニヴァーサルがポール・ニューマンとジュリー・アンドリュースを主演に決めると、脚本作りはさらに難航した。ヒッチコックは映画のテーマのひとつに同性愛を盛り込みたかったが、正統派スターのふたりの起用によって難しくなったし、アンドリュースは多忙だったため、すぐにでも撮影を開始する必要が出てきたのだ。

 ヒッチコックとムーアは脚本の完成を急いだが、急げば急ぐほどにヒッチコックの理想から離れ、またムーアのアイデアも消滅していく悪循環に陥った。我慢できなくなったムーアは1から作り直すことを提案したが、ヒッチコックはそれを快く思わず、ムーアを下ろして新しい脚本家を探そうとした。イギリス人作家のキース・ウォーターハウスとウィリス・ホールや、イタリア人脚本家のアージェとスカルペリらに白羽の矢が立てられたが、彼らにも脚本を変えることはできなかった。完成した脚本を見たニューマンは、オファーを受けた時にヒッチコックから聞かされた作品の概要とあまりに異なる内容に驚いて改善を試みたが、それでも状況は変わらなかった。

 撮影が終了すると、今度は音楽で問題が起きた。音楽を担当するのは当時ヒッチコックから絶大な信頼を得ていたバーナード・ハーマンだった。しかし彼はヒッチコックからポピュラー調の音楽を用意するよう言われて戸惑った。ヒッチコックの要求はユニヴァーサルの希望を受けてのものだったが、ハーマンはこの映画にポピュラー調が合うとは思えなかった。それを伝えるとヒッチコックは憤慨し、ハーマンを担当から降ろしてしまった。代わりに雇われたのはジョン・アディソンで、映画には彼の音楽が起用されたが、アディソンにはヒッチコックがあまり音楽に興味を示していないように見えたという。

 紆余曲折の末になんとか映画は完成し、『引き裂かれたカーテン』の題名で1966年夏に公開された。本作はヒッチコックの50作目の監督作品であり、それを大々的に打ち出した宣伝も行われていたが、観客も評論家も一様にヒッチコックらしさに欠いた映画だと評価した。脚本を担当したムーアはあれはひどい作品だ。ヒッチコックを知る人であれば、彼がただ手持ちのトリックをぶちまけて見せているにすぎないことがわかるはずだよ(『ヒッチコック——映画と生涯<下>』)と語ったという。

逸話

カメオ出演シーン

ヒッチコックのカメオ出演シーン
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ホテルのロビーで赤ん坊を抱えている男性

管理人より

 1960年代後半におけるヒッチコックの低迷ぶりを示す映画のひとつである。「冷戦」と「数式」という現実と強い結びつきを持ったものを物語のメインに据えているせいで、ヒッチコック的な要素——スピーディなストーリー運び、インパクトのある映像、感情を沸き立たせるサスペンス性——を生み出すのに必要不可欠なハッタリを発揮できなかったことが失敗作と評される原因となのだろう。冷戦はともかく、数式なんて絶対にごまかしの利かない要素をヒッチコック・ピクチャーで扱うなど、実に馬鹿げた話ではないか。物語の核心部となるものが専門的すぎるせいで、観客は主人公と同じ目線に立つことも感情を共有することもできない。これでは「観客にエモーションを与える」というヒッチコックの目標が達成できないのも当然といえる。

 しかしその一方で、このまま「失敗作」の枠に押し込めてしまうにはあまりにも惜しい存在でもある。この映画の欠点は「ヒッチコック的要素がない」というその1点のみであり、そこにさえ目をつむれば、ストーリー、キャラクター、カメラワーク、その他すべての要素が並以上の魅力を備えているからだ。『引き裂かれたカーテン』は「ヒッチコック」というブランドによって犠牲になった不遇の映画であり、そのブランドさえ気に留めなければ、いっぱしのサスペンスとして充分に楽しめる出来映えなのだ。そういう意味では、本作はヒッチコック入門に適した1作と言えるかもしれない。

引き裂かれたカーテン

公式Blu-ray(DVDも有)

last up:2019/01/23