引き裂かれたカーテン

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あらすじ:時は東西冷戦時代。米国の物理学者・マイケル・アームストロングとその秘書で婚約者のセーラは、国際会議に出席すべくコペンハーゲンを訪れる。しかしマイケルは会議には出席せず東ベルリンへ飛び、そこで自らの思想と相違する米国を捨て、東ベルリンのために尽力すると表明。狼狽するばかりのセーラを横目に、マイケルは行動を開始する。

メイキング

 前作『マーニー』の作業が完了しつつある頃、ヒッチコックは早くも次回作の構想を練り始めた。英作家・ジェイムズ・マシュー・バリーの『メアリー・ローズ』、同じくジョン・バカンの『三人の人質』を原作とした企画、そして完全オリジナル脚本の『R・R・R・R』の3つの企画が頓挫したのち彼の目に留まったのは、実在したソ連の諜報員・ドナルド・マクリーンの姿であった。

 マクリーンは英国で妻とともに生活を営んでいたごく平凡な男性であった。しかし、その裏で彼は英国の機密情報をソ連に流す諜報活動を行なっていた。事が露呈すると、同じく諜報員として活動していたガイ・バージェスなる男性とともにソ連に亡命している。この話でヒッチコックが最も関心を寄せたのは、マクリーンの妻だった。彼女は最愛の夫が母国の裏切り者だと知った時、そして、自分を捨て仲間の男性と亡命した時、何を思ったのか? ヒッチコックは、ここからスパイ・サスペンスを描けると考えた。

 脚本は当時作家として地位を確立しつつあったブライアン・ムーアに依頼。ヒッチコックとは親子ほどの歳の差があったが、ムーアの博識さとヒッチコックを尊重する態度も手伝ってすぐに良好な関係になれた。だが、肝心の脚本作りでは衝突を繰り返した。彼らには時間もなかった。撮影所のユニヴァーサルがこの企画の主演にポール・ニューマンとジュリー・アンドリュースを迎えたからである。正統派スターで売れっ子のふたりはスケジュールにも余裕がなく、特にアンドリュースのことを考慮するとすぐにでも撮影に入らなければいけなかったからだ。

 ヒッチコックとムーアは脚本の完成を急いだが、急げば急ぐほどにヒッチコックの理想から離れ、ムーアのアイデアも消滅していく悪循環に陥った。我慢できなくなったムーアは1から作り直すことを提案したが、ヒッチコックはそれを快く思わず、ムーアを下ろして新しい脚本家を探そうとした。英作家のキース・ウォーターハウスとウィリス・ホールや、伊脚本家のアージェとスカルペリらに白羽の矢が立てられたが、彼らにも脚本を変えることはできなかった。完成した脚本を見たポール・ニューマンは、オファーを受けた時に聞かされた概要とあまりに異なる内容に驚いた。彼は改善を試みたが、その努力が報われることはなかった。

 撮影が終了すると、今度は音楽で問題が起きた。事の発端は、レコードの売り上げを確保したいユニヴァーサルが大衆受けの良いポップな曲を要求したことだった。ヒッチコックはこれに同意したが、音楽を担当するバーナード・ハーマンはそうではなかった。彼は1955年の『ハリーの災難』以降ヒッチコックとタッグを組んでおり、彼と映画のことをよく理解していた。その感覚から言えば、この映画にはポップな音楽など似合わなかったのだ。

 ハーマンが作った音楽を聴いたヒッチコックは、よりポピュラーなものに作り替えるよう要求したが、ハーマンはこれを拒否。憤慨したヒッチコックは、ハーマンを担当から降ろしてしまった。後任に選ばれたのは、『トム・ジョーンズの華麗な冒険』で1964年度のアカデミー賞音楽賞を受賞したジョン・アディソン。彼は1ヶ月かけて曲を書き下ろし、それをヒッチコックに提供した。ヒッチコックはアディソンに曲を気に入ったと伝え、そのまま映画に採用した。しかしアディソンは後年、ヒッチコックは自分の音楽に関心がないようだったと吐露している。

 紆余曲折の末になんとか映画は完成し、『引き裂かれたカーテン』の題名で1966年7月27日に公開された。本作はヒッチコックの50作目の監督作品であり、それを大々的に打ち出した宣伝も行われていたが、観客も評論家も一様にヒッチコックらしさに欠いた映画だと評価した。脚本を担当したムーアものちにあれはひどい作品だ。ヒッチコックを知る人であれば、彼がただ手持ちのトリックをぶちまけて見せているにすぎないことがわかるはずだよ※1と語っている。

逸話

カメオ出演シーン

管理人より

 1960年代後半におけるヒッチコックの低迷ぶりを示す映画のひとつである。「冷戦」と「数式」という現実と強い結びつきを持ったものを物語のメインに据えているせいで、ヒッチコック的な要素——スピーディなストーリー運び、インパクトのある映像、感情を沸き立たせるサスペンス性——を生み出すのに必要不可欠なハッタリを発揮できなかったことが失敗作と評される原因となのだろう。冷戦はともかく、数式なんて絶対にごまかしの利かない要素をヒッチコック・ピクチャーで扱うなど、実に馬鹿げた話ではないか。物語の核心部となるものが専門的すぎるせいで、観客は主人公と同じ目線に立つことも感情を共有することもできない。これでは「観客にエモーションを与える」というヒッチコックの目標が達成できないのも当然といえる。

 しかしその一方で、このまま「失敗作」の枠に押し込めてしまうにはあまりにも惜しい存在でもある。この映画の欠点は「ヒッチコック的要素がない」というその1点のみであり、そこにさえ目をつむれば、ストーリー、キャラクター、カメラワーク、その他すべての要素が並以上の魅力を備えているからだ。『引き裂かれたカーテン』は「ヒッチコック」というブランドによって犠牲になった不遇の映画であり、そのブランドさえ気に留めなければ、いっぱしのサスペンスとして充分に楽しめる出来映えなのだ。そういう意味では、本作はヒッチコック入門に適した1作と言えるかもしれない。

スタッフ&キャスト

配役

出典

※1…ドナルド・スポトー(勝矢桂子・他 訳 山田宏一 監修)『ヒッチコック——映画と生涯 下

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