未亡人は言った。「本田宗一郎を殺したい」

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あらすじ:F1にコマーシャリズムの到来を告げたロータス48・フォード・FVAが登場した1967年、日本の若きフリー・カメラマン・ジョー ホンダは、ヨーロッパに向かうため貨客船に乗っていた。彼は前年に富士スピードウェイで開催されたインディ200マイル・レースや、ドイツの写真家・ホルスト・ボウマンによる世界のレース風景を納めた写真集『ニュー・マタドール』を目の当たりにしてモータースポーツの世界に魅了され、ついに現地に渡ることを決めたのだ。だが、まだ見ぬ異国の地への冒険に胸を躍らせていた若者を待ち受けていたのは、華やかな世界に隠れた残酷な現実だった——。輝きながら旅立った勇ましきレーシング・ドライバーたちの記録。

センセーショナルな表題への違和感

 日本人でいち早く世界に進出したグランプリフォトグラファー・ジョー ホンダによる本。著者がグランプリの現場で出会ったロレンツォ・バンディーニ、ジム・クラーク、ジョー・シュレッサー、ブルース・マクラーレン、ピアス・カレッジ、ヨッヘン・リント、ロニー・ピーターソン、ジル・ヴィルヌーヴ、ステファン・ベロフの9人のレーシングドライバーの経歴や人柄、そして彼らの命を奪った事故の様子などが綴られている。

 表題の“未亡人”は、第3章に出てくるフランス人ドライバー・シュレッサーの夫人を指す。シュレッサーはスポーツカーで活躍していた人物だったが、F1に出走するという夢も持っていた。そのチャンスが訪れたのは1968年。本田宗一郎が夢中になって開発していたRA302に搭乗する話が持ち上がったのだ。RA302は乗用車——それも強大なパワーを必要とするF1には不向きとされていた自然空冷エンジンを採用したクルマだった。

 宗一郎は完成したクルマをすぐにF1で走らせたかったが、直後の開催だったフランスグランプリのエントリー期日には間に合わなかった。情熱を抑えられなかった宗一郎は、グランプリの主催者にコネを売ることにした。そのコネのひとつがシュレッサーだった。ドライバーが自国民であれば目の色を変えるという算段だったのだろう。この作戦は上手く働き、RA302はグランプリの出走を許可された。

 しかし、RA302は出走前から問題だらけだった。自然空冷が上手く機能せずアッという間にオーバーヒートを起こすため、充分なセッティングができない。ドライバーのシュレッサーはF1の経験がない上、RA302に直に触れたのもフランスグランプリが開幕してからであった。さらにホンダF1チームにシュレッサーを知る者はおらず、どのようなドライビングをするのか誰もわからない。この状況を押し付けられたチーム監督の中村良夫は、これではとてもレースなどできないと憤慨し、チームは分裂状態になってしまった。クルマもドライバーもチームも、何もかもが準備不足だったのだ。

 決勝レース当日、スタートの合図が切られて飛び出していったRA302は、2周目にしてクラッシュ。クルマは真っ逆さまにひっくり返って発火、満タンのガソリンタンクに引火して爆発を起こした。ボディは軽量化のためにMg合金——燃えやすい性質を持つ——がふんだんに使われており、火の手はなかなか消えなかった。コクピットに閉じ込められたシュレッサーはそのまま焼死した。妻・アニーは悲惨な現実に耐えられず、発作的に自殺を図ろうとした。この本には書かれていないが、あまりに暴れるため拘束具をつけられたという話もある。

 表題は非常にセンセーショナルだ。これを見て違和感を覚える人も多いだろう。しかし私はそこまでではなかった。死に至るまでの過程があまりにも無謀だし、夫人が表題のような気持ちを抱くのも仕方がないかもしれないと思った。だから大きな違和感を感じることなく、この本を手に取った。しかし、作中に書かれたアニーの言葉を見て、途端に表題に対する違和感が出てきた。

「私は、いまも知りたいことがあります。あの事故でマシンが爆発したときに、ジョーは意識があったのでしょうか。気を失っていたというのなら、それでいいのです。しかし、もし、ジョーが意識を保っていたのなら、爆発し、体に火が燃えうつったとき、どんなに苦しかっただろうか。そのことを考えると、とても辛いのです。ホンダの人々を恨むことは、おかど違いだと理解していましたが、しかし、申し訳ないけれど恨んだときもありました。本田宗一郎を殺したい、と思ったこともありました」

未亡人は言った。「本田宗一郎を殺したい」P.122

 ここから私が読み取ったのは、悲惨な現実に直面しながらも、モータースポーツ選手なら誰もがリスクを抱えるという現実も考慮し、必死に理性を保つアニーの姿だった。でも、この一部が抜き取られた表題では、そうしたアニーの葛藤がまったく見えないため、彼女の心情を蔑ろにしているように感じたのだ。

 著者はピアス・カレッジが事故死した直後、彼が所属していたウィリアムズのピットにF1シートを狙う新人たちが続々と集まり、オーナーに次期ドライバーとして自分を雇ってくれるようアピールする姿に耐えられず、一時的にグランプリフォトグラファーを引退しようと日本に帰国したと綴っているが、そのときに抱いた人間的な感情はもう薄れているのかなと思った。もっとも、そうした感情と折り合いをつけないとやっていられない仕事なのだろうが——。

 この本はあくまで著者の目を通してF1の世界を見るものだ。著者の主観が強いのに加え、執筆するにあたって取材を重ねたこともないのか、既出の情報と当時の著者の心境を記すに留まっている。本書中もっとも熱を感じるバンディーニ——著者が初めて事故死を目の当たりにしたドライバー——の章ですら、取材らしい取材をした様子は見えない。著者はバンディーニの死後、新聞の報道写真で彼の葬儀で気丈に振る舞う夫人の姿を知った。当時、夫人は妊娠中であった。お腹の子は大丈夫だったのかと心配になった——と書きながら、無事出産できたのかは書かれていない。そこはフォローしてくれないと感情の置き場がなくて困るのだが……。

 フォトグラファーの本ということもあって、写真もそこそこ掲載されている。私はリントとニーナが寄り添っている写真が好きだ。クルマは写っていないけれど、ファイターの休暇という感じで微笑ましい。でもここまで仲のいい妻がいて子供もできたばかりのリントにきっと生きていることが退屈で退屈でたまらなかったのだろうと書くのはちょっとどうだろう。いや、そういう風に考えないとやりきれないのだろうけど——と、たびたび微妙な感じを覚えながら通読を終えた。

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