あらすじ:クリスマスが目前に迫ったデパートのおもちゃ売り場で、繁忙期の臨時アルバイトとして雇われたテレーズ。接客中にふと顔を上げると、そこにはブロンドの髪と情熱的なグレーの瞳を持った長身の女性がいた——。『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい』『殺意の迷宮』などで知られる作家・パトリシア・ハイスミスが“クレア・モーガン”名義で密かに発表した、伝説の恋愛小説。

今後ますます輝くであろう1冊

 現在公開されている映画『キャロル』の原作に当たる小説。おもちゃ売り場でアルバイトをしている舞台芸術家志望のテレーズと、そこにお客として訪れた離婚協議中の奥方・キャロルの恋模様を描いている。作者はサスペンス小説の名手で知られるパトリシア・ハイスミス。長編デビュー作の『見知らぬ乗客』がアルフレッド・ヒッチコックによって映画化されることが決まり、一躍知名度を上げた直後に執筆したという。しかし当時は今以上に同性愛が禁忌とされていたこともあり、『見知らぬ—』とは違う出版社から“クレア・モーガン”という別名義を用いて発表するに至った。

 私はヒッチコックの大ファンで、ハイスミスの同名小説が原作となった映画『見知らぬ乗客』も(ヒッチコック映画に限れば)5本の指に入るくらい好きだ。少なくとも10本の指には確実に入るだろう。その流れで『キャロル』の存在も知ったが当時は訳書が出ておらず、読むには洋書を手にするほかない状況だった。何年も英和辞書を片手に読もうかと迷っていたが、映画化作品が日本で公開されたおかげでその手間は省けた。発売を知った時はすぐにでも手にしたかったけれど、最近積ん読が多すぎるのと立ち寄った本屋になかったのとで、結局1ヶ月以上経ってからの購入になった。映画の勢いもあるのか売れ筋はいいらしく、手元の本はすでに第2刷だった。

 さて肝心の中身である。はっきりいって折り返し地点まではわりと単調だ。あのひとステキだわあ、一目惚れだわあ、もっとお近づきになりたいわあ……という、とにかく「ふつー」な恋模様が続くばかりなのだ。しかし同性愛をテーマにした本書では、「ふつー」であることは必ずしもマイナスではない。「ふつー」の恋愛を描いているということは、同性愛だから禁断よね、ダメよね、異常よね……みたいな含みがほとんどないということだから!

 それってかなりすごいことだよね。「異性同士ならふつーにできることが、同性同士ではできない」というのが同性愛における問題だから。だから同性愛の話になるとすぐにそれがメインテーマ化されてしまう。「同性愛は汚らわしい」と「同性愛は美しい」では向きは反対かもしれないが、特別視——異端であり特異であるという視線の有無という点では、どちらも程度は同じである。だが、『キャロル』ではそうした特別視がほとんどなく、とにかく「ふつー」なのだ。だから読んでいると「単調でつまんねえ……」なんて気持ちと同時に、「よくぞ女同士でここまでふつーの恋愛を書いてくれたな!」という感動に似た驚きが湧き上がってくる。

 そしてその単調さも、折り返し地点に入ってキャロルとテレーズが旅に出ると急速に解消されていく。ハイスミスの十八番であるサスペンス要素の登場だ。尤もサスペンス・ファンが期待するような高いサスペンス性はないけれど、それまでのドキドキ恋物語には似つかわしくないほどのサスペンスが楽しめる。さらにその先にあるラストはもう、実に素晴らしい。晩年の著者によるあとがき曰く、当時はゲイバーといえばマンハッタンのどこかにある薄暗い店で、客は同性愛者だと疑われないように、地下鉄を店の最寄駅のひとつ手前か先の駅で降りるような時代だったそうだが、そんな時代によくぞこのような作品を描いたものだと感嘆してしまう。ハイスミス、あんたは偉い。

 いまでは、欧米の一部では同性婚が正式に認められている。日本でも渋谷区を初めとして、同性愛者をパートナーとして正式に認める動きが出つつある。きっと今後、同性愛者の権利を尊重する動きはより強まっていくだろう。本作はそうした時代のなかで、以前よりもより激しく輝いていくに違いない。そしていずれは、最も真摯に同性愛を描いた最初の物語のひとつとして、歴史にその名を刻むだろう。

last up:2016/03/01