あらすじ:向こう見ずなドライビングでマシンを壊しまくる“ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント)”ことジェームズ・ハントと、正確なドライビング技術と高い開発能力を持つことから“コンピューター”の異名を持つニキ・ラウダ。水と油のようなふたりのドライバーが“F1世界王者”の栄光を巡って争った1976年のF1シーンを舞台にしたヒューマンドラマ。

史実とフィクションのバランスが絶妙

 この手の史実を基にした創作物は難しい。ドラマ性を重視しすぎると史実が蔑ろになって史実を知る人から反感を買うし、逆に史実に引張られすぎるとドラマ性に欠けて創作物としての出来が悪くなる。私はちょうどこの映画の基になった1970年代のF1に興味を持っていた時期があり、大雑把ながらもそこそこの知識を持っているため、そういった面で不安を感じていた。だが、それは杞憂に終わった。史実とフィクションのバランスが見事に整っていて、史実を基にしたフィクション作品のお手本と言っても良いくらいの出来栄えだったからだ。

 まずもって素晴らしいのは当時のF1風景の再現度だ。このご時世に関わらず登場するクルマには当時と同じようにベタベタとタバコスポンサーのロゴが貼り付けてあるし、タイム測定はちゃんとストップウォッチだし、チェッカーフラッグは通り過ぎるクルマのすぐそばで振られるし、観客が席代わりに使っている巨大広告はしっかりとボロボロだ(※座りやすくするために観客がビリビリに破いてた)。F1を単なる題材で終わらせず、しっかりとリスペクトしていることが感じられて好印象。欲を言えばもうちょいクルマのサスペンションが効いていてくれると嬉しかったけれど。デカいクルマがくしゅーんと沈むのがあの時代のカッコいいところだが、映画のマシンはあまりサスペンションを感じられなかった気がする。

 レースシーンはプロのドライバーを起用して撮影したらしく、それ相当の迫力が感じられる映像になっていた。度々スクリーンに現れるテレビ画面に実際のレースの映像を流すというモータースポーツファンへのサービス演出もお見事。1969年に公開されたポール・ニューマンの『レーサー』では映画用に撮影した映像と実際のレース映像を交えてレースシーンを作っていたが、やはり撮影環境が違うだけあって映像がまったく噛み合っておらず、互いの良さを殺し合っていて最悪だった。あれを観てから実際の映像とフィクションの映像を合わせた演出は難しいと考えるようになったのだが、『ラッシュ』はその概念を見事に覆してくれた。

 さらにキャスティングのビジュアルも素晴らしい。特にラウダと夫人は本人にそっくり! ラウダは口のすぼめ方や目元の表情も瓜二つで、もう似すぎていて怖いくらい。事故後の特殊メイクもバッチリだ。ハントも雰囲気は出ていたけど、実物よりもカッコよすぎるきらいがあった。個人的にはハントはそんなにイケメンだとは思わないんだよね。

 脚本の方もヒューマンドラマをしっかり描けていて好感が持てる。ハントとラウダのキャラクターも現実のイメージと乖離していなかったし、上手いことやったと思う。さっき例に挙げた『レーサー』は脚本もつまらなくてねえ。ポール・ニューマンをレース界に引き込んだ以外に良い点が見当たらないような映画だったが、『ラッシュ』は純粋に映画としても良い出来だ。しかしひとつ難癖をつけさせてもらうと、終盤は多少冗長だった。日本GPでラウダが降りた後はもっと簡潔に済ませても良かったと思う。長々としたレース映像とか、ハントのプライベート映像とか、いらなくないか。ハントとラウダの会話もそんなに長くなくて良いだろ。

 しかし、その辺は些細なこととして片付けても構わないだろう。史実とフィクションのバランスが本当に絶妙なので。モータースポーツに興味がある人もない人も楽しめると思うから、気になっている人にはぜひ観てほしいですね。

史実と比較して気になったこと

 ベタ褒めに近い感想を書いたわけだけど、少なからず1970年代のF1の知識がある身としては、やっぱり史実と違う点があると気になるもの。ということで、ここからは私が“史実とは違うのでは?”と感じたシーンを挙げていく。あくまで“史実との比較”であり、映画の出来に文句をつけるわけではないので注意。

ワトキンスグレンの事故

 まずは映画序盤で描かれたアメリカGP(ワトキンスグレン)での事故。実際にこの事故で亡くなったドライバーの名前はヘルムート・コイニク。コイニクのマシンはなんらかの原因でコースを逸れ、猛スピードのまま3段重ねのガードレールに激突。下部のガードレールは衝撃に耐え切れず壊れてしまい、マシンはさらに奥へ進入。しかし上部のガードレールは大きく破損しなかったため、ガードレール下を潜り込む形に。壊れなかったガードレールはちょうどコイニクの頭部にぶつかる高さにあり、ガードレールを通過してマシンが停止した時にはコイニクの胴体と首は切り離されていた。

 作中では「ドライバーのブレーキミス。コースに問題はない」とされていた事故だが、私の記憶が確かならば、この事故はコイニクのミスではなくマシントラブルだったはず。ちなみにこのサーキットでは1年前にもガードレールが凶器となった事故があったので、コース上——というかガードレールの設置の仕方にも問題があったとされていたような。記憶があやふやだから自信はないけど、もしも私の記憶通りであれば、この映画でのコイニクの扱いはあまりにも不憫だ。F1デビューして間もない新人だったこともあり、モータースポーツファンの間でも“悲惨な形で亡くなったドライバー”くらいにしか記憶されていなくて、それだけでも不憫なのだが。もしもラウダの冷静さを描写するための改変だったとしたらなんとも悲しいことだ。

1964年以降、英国GPに自国民勝者がいない?

 続いてハントのイギリスGP勝利の描写。「地元イギリス選手の優勝は1964年のジム・クラークぶり」なんて説明が入ったけど、ジム・クラークって1964年以降イギリスGPで勝ててないのか? ってかジャッキー・スチュワートも地元優勝未経験なのか? どちらもハントよりも先輩で、かつ当時の最多優勝記録を更新した偉大なイギリス人ドライバーだから、10年以上もイギリスの地元優勝がなかったなんてことはないと思うのだけど。Wikipediaによればクラークは1967年にもイギリスGPで勝ってるし、スチュワートも優勝経験ありと書かれているが、でもWikipediaだしな……。仮に改変だったとしても何のメリットがあるのか謎だ。

マリオ・アンドレッティの扱いが……

 そしてこれはもう本当に個人的なことなんだけど、マリオ・アンドレッティが脚本上のかませ犬みたいになっていたのが切なかった。アンドレッティは2年後の1978年に年間王者になった実力者で、F1以外にも華麗なキャリアを持つアメリカ人ドライバーだ。アメリカ人だけあってアメリカンレーシングとの関係は深く、私が観ているIndyCar(Indy500)でも“生けし伝説”といった感じで扱われている。でもこの映画だとクラッシュしたり、ピットアウトするラウダの前を塞いで罵倒されたり、ラウダだかハントだかに追い越されていったりと、散々な扱いを受けているのだ。実際のレース内容に沿っただけかもしれないけど、なんだか涙が出ちゃう(こずえ)。

 そしてもうひとつ地味ながらロニー・ピーターソンの扱いも悲しかった。ラウダが復帰したレースで1位フィニッシュしていた人ですよ。その時の実況が「1位はピーターソンですが、会場の目は4位のラウダに釘付けです!」とくる。そりゃそうだろうけど、ロニー好きとしてはなんとも切ない実況だった。

現実のラウダ夫妻について

 最後に、皆さまに現実を直視して頂こうと思う。劇中で理想的な夫婦として描かれていたラウダとマルレーヌだが、ふたりは後年に離婚している。ラウダの方はさらに後年、30も離れた年下の元スチュワーデスと再婚(たしか息子と同い年!)。ラウダはレース引退後に航空会社を経営していた(いる?)が、奥さんがスチュワーデスをしていたのはまさにラウダの会社だった。つまり部下と結婚! ほげええ! ハントもあれだけどラウダも大概なのだった。

last up:2016/12/28