あらすじ:グラビトン学園に転校してきた怪力少女のA子は、同じく転校生の親友・C子が学園のお嬢様・B子に一目惚れされたことで、C子を巡って争うハメになる。同じ頃、地球防衛軍は遥か彼方からやってきた謎の宇宙船の存在をキャッチし、戦闘態勢に入ろうとしていた。ふたつの戦いの行く末は果たして?!

時代に取り残されたオタク向けアニメ

 当時の若手アニメーターを中心に作られたオリジナル・アニメ。アニメオタクの間では伝説的なアニメ映画で、海外のオタクにも人気があるとかないとか。メインスタッフの多くは『うる星やつら』に関わった経験があるらしく、画面の端々から高橋留美子的なニオいが感じ取れる。それではるーみっくファンにおすすめできるかというと、そんなことはない。なんというか、“よくできた高橋留美子のまがいもの”って感じのアニメなんだよね。

 このアニメに関してはオタクの間で語り草になっている有名なエピソードがある。それは監督を務めた西島さんと、当時すでに有名監督だった宮崎駿とのイザコザ(?)だ。劇場で公開される直前、アニメ系雑誌で西島さんが“宮崎駿や押井守作品にないような能天気なアニメを作りたい”という趣旨の発言をしたと報じられたのだが、それを知った宮崎さんが「志が低すぎる」と返した——というもの。『WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第299回 宮崎駿の「セーラー服が機関銃撃って……」発言』に詳しい経緯が書かれているが、一部抜粋すると宮崎さんの発言は以下のような意味合いを持っていたらしい。

不特定多数の、自分とはまるで趣味が違うかもしれない人間に、自分達が作ったもので喜んでもらえるところに、映画を作る醍醐味がある。同じ趣味をもつ人間に向かって作るのは違うのではないか

WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第299回 宮崎駿の「セーラー服が機関銃撃って……」発言

 私は同じ趣味を持った人に向かってアニメを作る行為が必ずしも間違いだとは思わない。もちろん業界全体がそこを目指したら市場が狭くなってダメだとは思うけど、一部にそういうものがあってもべつにいいじゃん、と。しかし『プロジェクトA子』を観た後には、その考えも多少変わってきた。このアニメはきっと、後年世代のオタク——大雑把に言えば1980年以降に生まれた世代にはほとんど受け入れられないと感じたからだ。

 おそらく目指したのは『機動戦士ガンダム』と『宇宙戦艦ヤマト』と『うる星やつら』を足したようなアニメだと思う。どれも当時のオタクにすごく人気があったアニメだから、“これが全部一緒になったら最高!”ってテンションで作ったんじゃないか。しかしそれぞれの表面的な要素をペロッと拝借しただけなので、キャラクター的な面白さやストーリー的な魅力は継承されておらず、人気アニメをなぞっているわりには中身がスカスカ。さらにその人気アニメの表面的な要素——つまり絵や演出は現代の観点からするとさすがに古いので、そこだけ拝借した『—A子』はただひたすらに古いだけのものになっている。

 致命的なのはキャラクターの魅力のなさだろう。ストーリーも荒唐無稽ではあるものの、キャラクターさえ完成していればそれも楽しい要素のひとつとして受け入れられることは多くなるはず。高橋留美子なんかはまさにそういうタイプの漫画を描いて日本屈指の存在になったのだ。しかし『—A子』のキャラクターはデザインや奇抜さといった“ガワ”ばかりに意識が注力されていて性格的な魅力がまったく備わっておらず、るーみっくキャラのようにドタバタしてもまったく面白くない。特にヒドいのはC子(富沢美智江)である。

 A子(伊藤美紀)はC子のことを大切な親友だと思っていて、B子(篠原恵美)の方はC子に一方的に惚れている。B子はC子を独占したいあまりA子とC子を引き離そうと企み、それがきっかけでA子vsB子の争いが勃発する——というのが『—A子』の基本的なストーリーだが、肝心のC子が親友としても恋心を抱く相手としてもちっとも魅力がない。泣く・喚く・あほヅラを浮かべる以外のことをしない鬱陶しいキャラクターで、こいつらなんでこんなんを巡って争ってんだ? と思ってしまう。しかもA子とC子は親友だと言いながら“いつも一緒にいる”以外に親友らしい描写がほとんどない。A子もC子のマイペースぶりに困惑した表情を浮かべることが多いし、どうしても仲が良いようには見えない。ストーリーの要となっているC子がキャラクターとしての説得力を持っていないから、アニメ全体にも説得力が欠けているわけだ。

 アニメーションはたしかに気合が入ってはいるけど、カメラアングルに工夫が足りないせいでよく動くわりには単調な印象は否めない。脚本面ではあれもやりたいこれもやりたいってのを愚直に反映させているために、ストーリー自体はスカスカなくせに窮屈感がすごい。それでも“好きなものがたくさん詰まっていたら最高!”という当時のオタクにはウケただろうが、時代を経て完全に古いアニメとなってしまった今、西島さんが当初目指していた“一部のオタクが楽しめるアニメ”が“ほとんどのオタクも楽しめないアニメ”に成り下がっているように思う。

 宮崎さんの「志が低い」という発言は、こういう状況を想定して出されたものだったのではないか。“目先の流行ばかり追っていたら、流行が過ぎた後の世代を楽しませることはできない。本当にそれでいいのか?”。そして実際に『プロジェクトA子』を楽しめなかった私は、それじゃあダメだろと感じるのだった。

 1980年代くささはすごくあるので、その時代の空気をちょいとつまみたい人にはいいかもしれないが、私には前の世代がノスタルジィに浸るためだけのアニメにしか見えなかった。

 最後に気になった点として、B子の脚。

B子の脚
© ファイナル―西島―もりやま/創映新社・ポニーキャニオン

 このへんに山内則康的なものを感じた。エンディングロールを見たら参加はしているみたいだけど、どのカットを描いたのかまではさすがにわからない。A〜C子でなく、マリだったり戦闘機だったりするのかも。

last up:2016/12/30