絶賛の嵐だった『シン・ゴジラ』の中で、唯一物議を醸しているのがカヨコ・アン・パタースンだ。主な批判は「日系アメリカ人なのに日本人にしか見えない」「英語がネイティヴっぽくない」など、演じた石原さとみに苦言呈するもので、中には「外国人俳優の雇用問題」の視点からの批判もあった。映画を観て以来こうした指摘に対してずっと考えを巡らせていたので、今更ながらそれをまとめてみたいと思う。

石原さとみはミスキャストなのか?

 まずはカヨコ・アン・パタースンのキャラクター設定をおさらいしよう。株式会社カラーの公式ツイッターに掲載された資料では以下のように書かれている。

代々政治家の名門家生まれ。父親は有力な上院議員で親日派。祖母が日本人。
自己実現能力が高いリアリスト。自己の欲望と目的に忠実。行動的。40代で米国大統領になることが人生の目標。
裕福な家庭育ちでおおらか。自信家。唯我独尊。美食家(B級から高級料理まで幅広く)。

株式会社カラー公式アカウント

日系アメリカ人に見えない問題

 演じた石原さんは凹凸があまりない典型的な日本人顔で、いわゆる大和撫子的な美人だ。確かにアメリカの血が入っているようには見えない。

 しかしカヨコはあくまで“日本人の祖母を持つアメリカ人”である。つまり祖母以外の親族の人種についてはほとんど情報がないわけで、実は両親がともに日系ということもあるかもしれぬ。“カヨコ”という日本人丸出しの名前からしても、その可能性はゼロではないだろう。そう仮定すれば当然日系の血が濃くなるだろうし、石原さんのような日本人顏として誕生してもおかしくはない。

 そもそも“アメリカ人は目が大きく骨格がしっかりしている”や“日本人は目が小さくて凹凸がほとんどない”などはあくまでその人種の全体的なイメージであり、“目が小さく凹凸がほとんどないアメリカ人”や“目が大きく骨格がしっかりした日本人”だっていないことはないだろう。あんなに彫りが深くてしっかりした骨格の平井堅だって生粋の日本人なのだ。結局のところこの“日系アメリカ人に見えない”というのは“(自分のイメージする)日系アメリカ人に見えない”というだけだ。だからこの指摘に対しては知らんがなで良いと思う。

英語がネイティヴっぽくない問題

 鑑賞前に散々「石原さとみの英語が下手くそ」という批判を目にしたのでかなり身構えて観たせいもあるのか、私はべつに下手とは思わなかった。むしろかなり流暢だしイイじゃん、と思ったぐらい。しかしこれは私が英語がからきしダメだからで、きっと英語が得意な人からすると違和感があるのだろう。やはりカヨコの設定からすれば、以下のようなネイティブアメリカンの発音が理想なのだろうか。

 動画見ました? もしも「『シン・ゴジラ』の石原さとみの英語はネイティヴ的ではない」と言いながら「このアメリカ人誰?」なんて思った人には石原さんとカラオケに行く刑に処する。実はこの動画に登場するふたりはアメリカ人ではない。男性の方は生粋のイギリス人で“サスペンスの神様”の異名を持った映画監督・アルフレッド・ヒッチコック。彼は後年ハリウッドで名を馳せるが、この時点では一度もアメリカの地を踏んでいない。

 そして女性の方はポーランド出身のアニー・オンドラという女優で、アメリカ人じゃないどころか母語が英語ですらない。この動画はヒッチコック監督の『『恐喝〔ゆすり〕』』の製作の際に撮られたカメラテスト(音声テスト)なのだが、ここでオンドラが喋っている英語は独特の訛りが強いそうで、彼女はこれが原因で同作のイギリス人女性の役を口パクで演じることになった——簡単に言えばセリフだけ別人が担当したという逸話がある。

 英語がダメダメな私はこの動画を見ても訛りなんかちっとも分からんが、しかし『シン・ゴジラ』の石原さんの英語が“ネイティヴっぽくない”と感じる人ならば、多少の違和感を持つはずである。少なくともネイティヴアメリカンとは思わないだろう。仮に私のミスリードのせいでアメリカ的な英語に聞こえたのだとしたら、英語の発音に敏感なのではなく、外見がアジア人(石原さとみ)だから敏感になっているだけなのでは? 同じ発音でもウェンツ瑛士の口から出ていたら、そんなにワイワイ言わなかったんじゃないか。むしろ「さすがハーフだなあ〜」ぐらいに思われるのではないか。ちなみにウェンツさんは英語はぜんぜんダメだと言っていたぞ。

 そういえば朝ドラの『マッサン』でヒロインを務めたシャーロット・ケイト・フォックスはアメリカ人だが、作中ではイギリス人という設定だった。アメリカとイギリスはどちらも英語を母語とする国だけど、やはり発音にはそれぞれの国の色があると言うし、単語の意味合いも微妙に異なったりする。だが、そんなことを気にしながら『マッサン』を見た人なんていたのか? いたとしてもカヨコに突っ込む人よりはかなり少数だっただろう。そうした点を考えても、石原さんへの批判は彼女の外見に捕らわれた結果出てくるものではないかと思ってしまう。

 ただ、こんな風に石原さんを擁護しまくっている私でも日本語に混じる英単語の発音を変えているのはちょっとイラッとした。“ルー大柴語”とか言われているアレね。これだけは失敗だと思ったが、どこかで見た「石原さとみのカヨコは『シン・ゴジラ』における“虚構”をゴジラと一緒に背負っているのだ」的な感想を受けて、アレはアレで良いのかなと思うようになった。いっそのこと“訛りの強い英語を喋る人が多く暮らす第3ニュー・ニューヨーク・シティ”とか架空の地域を作り出して、そこを出身地にでもしたらどうだ。

 ところでこの発音がダメという指摘は関西人がエセ関西弁にイライラするのと似てる気がする。それは関西人の特徴でおまんがな、工藤!

外国人俳優の雇用問題

 要するに「作中に外国人の役があるのに、それを日本人が演じてしまえば外国人俳優のチャンスがなくなる」という問題だ。ハリウッドでは原作では日系のキャラクターでもアメリカ人に設定を変えてしまうことが多々あり、そのせいで日系の俳優たちがなかなか仕事に有り付けないなんて話がよくあるそうだ。それ自体は確かに問題ではある。

 しかしカヨコのセリフは英語より日本語の方が多く、言語の重要さは日本語>英語だから、それなりに流暢な日本語を話せる人材が必要になる。個人的には演歌歌手のジェロくらいの日本語力はあってほしいところ。しかし彼の日本語力はかなり高度で、声だけだと日本人でも生粋の日本人だと思い込むレベルだ。そこまで流暢に日本語を話せて、かつネイティヴアメリカンな発音ができる在日アメリカ人俳優はかなり少ないだろう。

 べつにそこまで流暢じゃなくても良いんじゃないのと思われるかもしれない。しかし日本人の祖母に並々ならない思い入れを持つカヨコというキャラクターとしては、日本語は流暢な方が良い。カヨコが日本語がペラペラな理由は明かされていなかったと思うが、「おばあちゃん」を連呼する彼女の様子からすれば、おばあちゃんの祖国にも高い関心を持っていることは容易に想像できる。先ほど挙げたジェロさんも祖母が日本人であり、祖母が大好きだったという点でカヨコと共通している。彼は演歌が好きだった祖母を喜ばせようと演歌を歌ううちに今の歌唱力が身についたそうだが、カヨコも同じように日本語が堪能であればあるほど、おばあちゃんを連呼するそのキャラクターにも説得力が出てくるではないか。

 それに「外国人役なんだから外国人俳優を当てろ」という主張を受け入れるのであれば、「祖母が日本人のアメリカ人という役どころなのだから、日本人の祖母か祖父を持つアメリカ人俳優を当てろ」という主張も受け入れなければならぬ。仮に日本人の祖母か祖父を持つ日系アメリカ人3世と日本の血が入っていないイギリス人がオーディションを受けた結果、後者がその役を射止めたとしたら、前者は納得いかないだろう。

 また映画では当然、演技力の高さも必要だ。従って石原さんへの批判をすべてクリアする人物とはネイティヴアメリカンな発音ができる日系アメリカ人で、かつ祖父母のどちらかが日本人で、かつ日本人と同レベルに流暢な日本語が話せて、かつ40歳以下の女性で、かつそれなりの演技力を持つ人、というとんでもなく限定的な人材になる。そんな条件に一致する外国人俳優が果たしてどれくらい日本にいるのか。それに『シン・ゴジラ』では日本の映像物にしては珍しく外国の血の色が濃い容姿の俳優が複数出演していた。どれも端役ではあったが、外国人の雇用という面からしても頑張った方だと思う。

実は石原さとみはかなりカヨコに適している

 そもそもカヨコというキャラクターには不鮮明な部分が多い。アメリカ出身といっても具体的な地名は出てこないし(もしかしたらちらっと映った資料に書いてあったかもしれないけど)、アメリカ育ちなのか海外育ちなのかもわからないし、両親の人種も不明だし、要となる祖母の人物像も“原爆投下の影響を受けながらもアメリカ人としてアメリカで暮らした元日本人”程度の情報しかなく、直接被曝したのか、自分ではなく親族や友人や被曝したのか、まだ生きているのか、すでに物故しているのか、カヨコと接したことがあるのかもすべて謎だ。“祖母が日本人の日系アメリカ人3世でアメリカ大統領特使”というインパクトの強い設定にも関わらず、あまりにも隙間が多い。だから、石原さんの演技を肯定的に観た人はその隙間に肯定できる要素を入れ込めるし、逆に否定的に観た人は否定しやすい要素を入れ込めるようになっている。これがカヨコが賛否両論になっている原因のひとつではないかと思う。

 肯定派も否定派も共通して認識している確実な設定は“40歳代以下の女性”くらいである。これに関しては石原さんはもちろんクリアーしている。さらに脚本の都合上、カヨコ役に必要とされるのは“流暢な日本語が話せる(日本語のセリフ量が多いため)”と“それなりに英語ができる(英語のセリフがそれなりにあるため)”のふたつ。これも石原さんはクリアーだ。散々文句をつけられている英語にしたって「ぜんぜん聞き取れない」とは言われていないし、英語圏の人ともそれなりに話せるレベルではあるのだろう。『シン・ゴジラ』ではそれで充分だ。加えて俳優として必要な演技力と集客力もあるし、ついでに映像に華を添える端麗な容姿もある。ここまでの条件が揃った人材は石原さん以外にほとんどいないだろう。

 監督の庵野秀明は映画完成後に「カヨコに石原さんを起用して良かった」と言ったそうだが、私も同感だ。名家出身でちょっと高飛車っぽいけどなんだかんだで自分(40代でアメリカ大統領という夢)を犠牲にできる強さと優しさのあるキャラクターを上手く演じていたし。正直、鑑賞直後は「遊んでそうな雰囲気があるのが微妙」と思ったが、よくよく考えれば彼女は育ちが裕福なわけだし、まだ若いからそれくらいの軽さがある方が人間味があって良いよね。まあそうなると今度は口紅の色が暗すぎね? って問題も出てくるが。特に初登場時はパーティ帰りなんだし、もうちょいはっちゃけた色のを塗ってても良かった気がする。日本人としては珍しい赤色のリップが似合う顔立ちなので、そこを活かしても良かったかな。

 でも総合的に見ればやっぱり石原さんのカヨコは良かったよ。私は尾頭ヒロミ(市川実日子)より好きだぜ! 尾頭さんは未だに“びとう”って読んじゃうし下の名前は忘れちゃうけど、カヨコは“カヨコ・アン”までは覚えたくらいだ! 石原さんも前から好きだったが、ますます好きになった気がする。今後の石原さんのご活躍にも期待しております。

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last up:2016/12/04