あらすじ:誰もが耳を疑うほどの強烈な音痴でありながら、それに気づいていないフローレンスの夢は、カーネギーホールでのコンサート。夫のシンクレアは彼女の夢を叶えるため、夫婦が持つ莫大な財産を利用してコンサートの実現を目指す! 無謀だが純粋な妻と彼女のために東奔西走する夫をコメディタッチで描いたラブストーリー。

話が雑だがキャストは光る

 1910年代から1940年代にアメリカで活動したソプラノ歌手・フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにしたイギリス映画。2016年12月1日より全国公開され、映画館で鑑賞した。実在した人物をモデルにしていることもあって史実に近いストーリーになっているのかと思ったが、いかにもフィクションくさい展開だったのでちょっとびっくりした。鑑賞後にパンフレットや公式サイトに目を通したが、やっぱり史実とはだいぶ異なっているようだ。

 実在したフローレンスはカーネギーホールに立つまでに20年もの歳月を費やしているようだが、映画の方ではおそらく数ヶ月しかかかっていない。それまでも身内向けの舞台に立っていたという設定はあったけど、音楽公演というよりは演劇公演という感じ。少なくとも物語が始まるまでソプラノ歌手としては活動していなかった。ド新人の上超絶音痴なのに数ヶ月でそんな大舞台に立てるなんて、金かコネがなければ無理だろう。っていうか、映画では本当に金の力でゴリ押ししている。実在したフローレンスは親の莫大な遺産を受け継いで大変な金持ちであったというが、映画での彼女もそうなのだ。

 夫のシンクレア(ヒュー・グラント)は、その金を使って妻の公演に来る観客と批評家を買収している。もちろん買収された人間は皆フローレンス(メリル・ストリープ)を絶賛する。そんな人々を見て、フローレンスは自分には才能があると思い込んでいく。これを“献身的な愛情”として描写しているのだが、なんとも釈然としなかった。ほんとにそれでいいのか? なんか裸の王様にさせているみたいだ。確かシンクレアが買収しきれなかった批評家も同じようなことを言っていたけど、いやもっともだよと言わざるを得ない。そのあべこべさをコメディとして描写しきっていたならまだ笑えるのだが、フローレンスはカーネギーホールで爆笑する観客を見て戸惑う様子を見せるし、最後には批評家の悪評にショックを受けて帰らぬ人になる。なんとも寂しすぎるではないか。

 実在したフローレンス(というかシンクレア)がそうした買収をしていたかは知らないけれど、でも生前の彼女が残した人々は、私を歌えないと言うかもしれない。でも誰も、私は歌わないとは言わない(※パンフレットより)という発言を見るに、彼女は批判を受けてもそっちのけで自分のやりたいことをやる芯の強い女性だったのだろう。映画としてもそちらのキャラクターを採用した方が快活な喜劇になったと思うんだけど、何故こんな中途半端に悲しい喜劇にしてしまったのか。よくわかんないな。

 さらに夫のシンクレアだが、なんと愛人がいる。妻を支える愛の物語! みたいな触れ込みだったから、いきなり愛人が現れて度肝を抜かれた。その後、雇われピアニストのコズメ・マクムーン(サイモン・ヘルバーグ)に「この関係はフローレンスも承知の上だ」と告げていたから納得しかけたのだが、のちの展開を観たらどう考えても承知の上じゃない。フローレンスには昔駆け落ちした元夫(シンクレアとは別人)から梅毒を移されたため、シンクレアと愛し合いながらも身体を重ねることができないという事情がある。だからフローレンスに合意を得て愛人を作るという手もアリかもしれない。シンクレアは確かにフローレンスに献身的だし、恋人だって大切にしている。金もあることだし、一夫多妻でもまあいいんじゃないかと思ったが、こそこそやってるんじゃあただの浮気だ。いくら最後にはフローレンスの方を取ったと言っても、良い夫かと言われると疑問が残る。愛人の方もどう見ても納得してないよなあ、この関係。

 舞台が1940年代だし、その時代の風潮を再現したということなのかもしれぬ。はたまた、史実に沿った展開という可能性もあり得る。さらにはコメディ的な要素が欲しかったから加えたということも。いずれにせよ、どうもモヤモヤする設定だった。

 そんなこんなで微妙な点は多いものの、いい点もたくさんあった。まず、雇われピアニストのヘルバーグの演技がとても素晴らしい。雇い主のフローレンスの歌唱を初めて耳にした時の驚きと含み笑いの表情は最高だったよ。彼はしばらく心底フローレンスを嘲笑していたけれど、交流を続けるうちに彼女の持つ音楽への愛情と純粋な人柄に惹かれ、ピアニストとして彼女を支える決心をする。夫のシンクレアより全然献身的じゃないか!(笑)“ちょっと三枚目だけどとても誠実”というキャラクターがちゃんと見て取れる演技で良かったよ。

 フローレンスとシンクレアを演じたストリープとグラントもやはり良かった。たぶんこのふたりが演じていなければ、上述した欠点がダイレクトに響いて駄作になっていたと思う。このふたりのおかげで映画のフローレンスとシンクレアはただの裸の王様や不貞じじいに終わることなく、しっかりと愛らしさが出た。ダメな夫婦だけど、どことなく愛らしさを感じちゃうんだよなあ。フローレンスを史実上の人物のように強い心を持たせずお調子者のようなキャラクターにしたのも、ストリープの愛らしい演技を撮りたかったからかもしれないね。そういう視点で見ればこのキャラクターも正解かもしれない。

 ストリープの歌唱シーンもちゃんと音痴ですごかったけど、そこはかとなく“ほんとは上手い人が頑張って下手に歌ってる感”は出ていた(笑)。鑑賞後に実在したフローレンスの歌を聴いたら確かに似てるんだけど、やっぱりストリープの方は声のパワフルさを隠せてない感じ。下手な人が上手になるには限界があるのと同じで、上手な人が下手になるにも限界があるのだろうね。ちなみに本物の歌はこちら。

 “蚊の鳴くような声”ってのはまさにこのことだな。なんかスゴイわ。

 また、コメディ的な演出としては素直に笑える部分も多かった。ポテトサラダがギッシリ詰まったバスタブはさすがにニヤッときた。パンフレットによれば史実上からの引用らしいが、金持ち恐るべしだな。あと、いかにも遊び人なアグネス・スターク(ニナ・アリアンダ)の笑いっぷりも見事だった。なんで最後にゲラゲラ笑う観客を怒鳴りつけたのかはよくわからないけど。あの辺の心境の変化をちゃんと描いていてくれればもっと感動的なシーンになったと思うのだが。

 気になるところは多いが、俳優陣の好演もあって、ごく普通に楽しめた映画だった。

おまけ

フローレンスの歌の先生(デイヴィッド・ハイ)
© 2016 Pathe Productions Limited./GAGA Corporation.

 どっかで見たことあると思ったら、これナイジェル・マンセル(※1980年代から1990年代にかけて活躍したレーシングドライバー)

last up:2016/12/10