あらすじ:行方知れずの甥に財産を譲るため、いまは亡き甥の母の亡霊から甥の居場所を聞き出してほしいと依頼された“インチキ”霊媒師のブランチとその相棒・ジョージ。スリルと美しい宝石のため、巧妙な手口で誘拐宝石強盗を繰り返す宝石商のアーサーとそのパートナー・フラン。2つの“プロット”が絶妙に絡まり合う、ユーモア溢れるサスペンス。

メイキング

 1973年の春頃、ヒッチコックはユニヴァーサル・スタジオから送られてきたヴィクター・カニングの『階段』の映画化を決め、脚本家のアーネスト・レーマンと脚本作りに取り掛かった。だが、当時のヒッチコックはかねてから患っていた関節炎や老齢による体力の低下など体調不良に悩まされており、作業は遅々として進まなかった。体調は月日が経つほどに悪化していき、1974年にはペースメーカーの植込み手術を受けるまでになっていた。

 2年近い月日が流れた1975年4月、脚本はようやく完成し、直後に撮影もスタートさせた。撮影は8月頃まで続いたがヒッチコックの体調は相変わらず優れず、現場でも疲れた様子を見せることが多かったという。

 完成された映画は1976年4月9日に公開された。ユニヴァーサルが宣伝に力を入れたことに加え、当時のアメリカではヒッチコックを再評価する動きが強かったことも手伝い、映画は一般客・批評家ともに好意的な評価を得ることができた。ユニヴァーサル・スタジオはさらなる新作を期待し、ヒッチコックもそれに応えようとしたが、彼の体力は限界だった。『ファミリー・プロット』の公開から4年後の1980年4月29日、ヒッチコックは自宅で静かに息を引き取った。

逸話

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管理人より

 英国俳優を起用して英国で撮影した『フレンジー』から一転、米国俳優を起用して米国で撮影された『ファミリー・プロット』。だが、不思議と『フレンジー』と同様に——もしくはそれ以上に、英国時代のヒッチコックを思わせる映画となっている。

 その理由として挙げられるのが“ユーモア”だ。ヒッチコックはサイレントとトーキーのふたつの時代を経験し、その間メロドラマ、コメディ、そしてサスペンスと、複数のジャンルで映画の可能性を模索してきた。そうした時代やジャンルの変化のなかでも、彼が忘れずに持っていたのがユーモアだった。本作が若き時代のヒッチコックを連想させるのは、まさにそのようなユーモアが全篇に溢れているからだろう。

 原点に回帰したとも言えるがゆえに、新しい時代へ挑戦する姿勢がみられた『フレンジー』に比べると少し影の薄い作品であるようだ。たしかに最盛期のヒッチコック・ピクチャーのような派手なサスペンス性を求める人には物足りなさを感じることは否めない。しかし堅実な作りであるため誰が観ても大きく外すことはないだろうし、彼の映画の中でももっとも新しいことを考えれば、初めてのヒッチコックに選択するのも悪くはないだろう。

 本作は半世紀に渡って英米で——いや、世界で映画界を牽引してきたヒッチコックの最期の映画である。サスペンスの神様と呼ばれながらも、それとは対極に位置すると思われるユーモア精神にも長けていた彼にとって、本作は遺作とするにふさわしい映画と言える気がする。

last up:2017/03/04