ヒロイン(女優)の選び方

 私が自分の映画のヒロインを選ぶにあたって一番心に留めることは、その女性が男性よりも女性を喜ばせる人でなくてはならないという点だ。というのも、平均的な映画観客の四分の三を占めるのが女性たちだからである。従って、どんな女優であれ、ヒロインとして同性に喜ばれない場合には興行的に良い結果を残すことはできない。女優志願の方々、くれぐれもこのことをお忘れなく!

 私の考え方は、セックスアピールこそすべての映画女優が手にしうる最重要の武器であることを肯定する映画芸術「肉体」派の支持者たちからは反論されるかもしれない。しかし彼らは次の事実を忘れている。女性スターたちのうちで、メアリー・ピックフォード、リリアン・ギッシュ、ベティ・バルフォア、ポーリン・フレデリック、ノーマ・タルマッジといった息の長い人気を誇る人たちは、今日俗に言われるようなセックスアピールがまったくないのである。彼女たちの成功の秘密は、もちろん本人たちに自然に備わる才能と魅力にあるのは言うまでもないが、それとともに彼女たちが、ほのめかすだけで最大の効果を発揮するような、人間性の最良の部分に訴えかけるアピール役をつねに演じてきたというところにもあるのである。

1931年『Who's Who in Filmland』
ヒッチコック映画自身』より引用

サスペンスとスフレ

 わたしには子どものときから恐怖心というものがあった。……わたし自身はサスペンスはきらいで、だから家ではスフレを作るのは許さないんだ。うちのオーヴンの扉はガラスじゃないんでね、スフレがうまくできたかどうかわかるまで四十分、そんなにわたしは我慢していられないんだよ!

1960年
ヒッチコック——映画と生涯〈上〉』より引用

エドガー・アラン・ポーの教え

 「モルグ街の殺人」を読み終えたときの気持ちはまだ覚えてるよ。恐ろしかったが、その恐怖が気づかせてくれたあることを、わたしはけっして忘れたことがない。つまりね、人は安全だとわかっているときに、恐怖という感情を味わいたがるということだ。家で恐怖小説を読んでいるときには、安心感があるものなんだよ。そりゃあ、震えあがりはするが、自分はなじんだ場所にいるんだし、ただ読んだものに想像力がかきたてられただけだとわかっているから、次には大きな安堵と幸福感がやってくる。ちょうど、とても喉がかわいているときに冷たい飲物を飲むようなものだ。そしてランプの光のやさしさと、すわっている椅子の居心地のよさをあらためて感じるのさ。

1960年
ヒッチコック——映画と生涯〈上〉』より引用
(『ヒッチコック映画自身』に全文が掲載されている)

セクシーよりもエレガント

 大柄で胸の豊かなブロンドと、エレガントな雰囲気をたたえる淑女然としたブロンドは是非とも区別することが大切だ。後者の方はセクシーさが隠されてなくてはならない。『真昼の決闘』〔五二年米、フレッド・ジンネマン監督〕のグレース・ケリーを覚えているだろうか。むしろ色褪せたようなブロンドだった。ところが『ダイヤルMを廻せ!』〔五四年米〕の彼女は、私にとっては見事に咲き誇った花にも等しい。というのはエレガントな雰囲気がいつもそこにあるからなのである。

 たぶんこれが、私が淑女然とした女性を好む一番の理由だろう。映画監督としての経験で言わせてもらえば、エレガントな魅力を持った女優ならそれを抑えてもっと下品な役をやることはたやすいが、逆にエレガントな魅力を持たない女優はどんなに実力があろうとも、背伸びをして、たとえば大使の妻のような役をやろうとしてもできないのである。人間としてのそれだけの幅を欠いているから女優としての幅も欠くことになってしまうのである。逆にエレガントな女性は我々に驚きを与えてやまないだろう。

1962年『Hollywood Reporter 172 no.39』
ヒッチコック映画自身』より引用

知的な映画ファン

ヒッチコック〔以下Hと略記〕――『シネマ』というのはどういうものかね。
インタビュアー〔以下Iと略記〕――『シネマ』はアメリカ全土で販売されている、「知的な映画ファン」向けの雑誌と考えています。つまり……
H――知的な映画ファンなんているのかね。
I――ええ、いちおうは……

1963年『Cinema 1, no.5』
ヒッチコック映画自身』より引用

観客の心をうつもの

 主題なんか、どうでもいい。演技なんか、どうでもいい。大事なことは、映画のさまざまなディテールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客に悲鳴をあげさせるに至ったということだ。大衆のエモーションを生み出すために映画技術シネマチック・アートを駆使することこそ、わたしたちの最大の歓びだ。『サイコ』では、その歓びを達成できた。観客をほんとうに感動させるのは、メッセージなんかではない。俳優たちの名演技でもない。原作小説のおもしろさでもない。観客の心をうつのは、純粋に映画そのものなのだ。

1966年『映画術』より引用

ミステリーとサスペンスの違い

 “ミステリー”と“サスペンス”という言葉は、ひどく混同されている。この二つはじつは天と地ほどかけ離れているのだ。ミステリーは、推理小説で犯人をあてるような、知的なプロセスのことだ。だがサスペンスは本質的にエモーショナルなプロセスを意味する。観客に情報を明かさなければサスペンスは生まれない。おそらく皆さんは、謎にみちたできごとが次々に起こる映画をたくさん見てこられたと思う。何が起きているのか、なぜそんなことをするのか、さっぱりわからない。ようやくわかってくるのは映画が三分の一ぐらい進行してからだろう。わたしにいわせれば、そんなものはフィルムの無駄遣いだ。映画にエモーションがないから、観客もエモーションを感じない。……ミステリーという形式に、わたしは少しも興味をひかれない。それはただ観客を煙にまくだけだから。わたしはもっとそれ以上のものをつくりたいのだ。

1970年 AFI映画研究センターでの講演で
ヒッチコック——映画と生涯〈下〉』より引用